今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の筆舌剛健
No.1
「繁盛問屋街を想像する3つの条件 」
(問屋連盟通信 2011年9月20日より)
問屋連盟通信 - 筆舌剛健◆若者・バカ者・よそ者
 商店街再生、街づくり、イベント、催事等、〈人が集まる〉ことに必要な人材は、「若者・バカ者・よそ者」の存在である。この3者のどれが欠けても街づくりは成功しない。
 この度の大震災の復興に当たっても、このことが証明されている。「若者」とは、なにも年齢的に20〜40歳代に限るものではなく、60歳以上だって立派な若者の資格はある。要は、“心の持ちよう”なのだ。強い信念と持続できる体力さえ備わっておれば問題はない。
 「よそ者」の存在は貴重だ。中でも、災害復興時などに際し自然発生的に組織化されるNPO法人、ボランティアの皆さんなどは、いろんな事業に加担したキャリアが豊富であり、多くの事例、特に阪神・淡路大震災での経験もお持ちだ。官庁や市町村の役所の皆さんの扱いに通暁しておられる。
 また、新たに同種の事業をおこすためにその街の名声を慕って「是非この地で創業したい」、あるいは、この街には存在しない事業を見据えて、この地なら成功の可能性が大であると出店を決意する人々もいるだろう。
 これら新参者が、その街の繁盛に果たす功罪は無視できるものではないはずだ。当然、街のためになる発言も積極的となるはずだ。
 その上で、関係者の皆さんが集まって決めたことを実行するための大事な人材が「バカ者」だ。バカ者とは大変失礼な表現だが、こんな人がいないと事業は必ず挫折してしまう。会議が終わってから、ああでもないこうでもない、いやこうしないといけない、など言い出す輩が必ず出てくる。
それを押し切れるだけの腹の据わった人がいないと、ものごとは成就しない。語弊はあるが、観念的・理性的な人、考え深い人など一見頭の良い人には向かない役目だと言っておこう。猪突猛進型とでも言おうか、あれこれ考えることより、信念に基づきやり遂げる、“勇気”のある人のこと、と理解願いたい。

◆「よそ者」の活躍
 『頑張ろう!日本』で被災地東北からの甲子園出場校の戦いぶりが大変注目を集めた。被害が甚大でいくつかの高校が即席で連合チームを作り県大会に出場するという涙ぐましい地域もあったという。
 宮城、岩手は早々と敗退したが、福島は、内陸部の伊達町から強豪・聖光学院が健闘した。好投手歳内宏明君を擁して金沢高校釜田投手と投げ合ったが、惜しくも敗退した。歳内君は兵庫県尼崎の出身だ。
 あわや東北勢初の夏の甲子園優勝旗に王手をかけた青森代表高の光星学院、エース秋田投手以下主力メンバーは、すべて県外出身選手で占めた。青森県内の選手は、僅かに控え選手3名であったらしい。
 あまりこの事実はマスメディアも取り上げなかったが、その後レギュラークラスの野球部員による飲酒事件で、この事実が明らかになった。高校野球のことでもあり、多少は大目に見てやろうとの大人達の配慮はあったろうが、同じ年代からは「2チャンネル」等の裏メディアでけちょんけちょんに叩かれた。
 高校野球界に燦然と輝く、1968年、1969年と太田幸司投手を擁して甲子園に旋風を巻き起こした県立三沢高校の活躍を誇りとする青森県民にとっては、いささか心外な事件ではあったろう。

◆英雄としての「よそ者」
 概して、古来よそ者は英雄として忽然として現われ、地域の力となるも感謝されることなく無言のうちに去っていく。
長寿番組「水戸黄門」様も、地域の人々にとっては「よそ者」だ。1969年以来、実に42年間続いたという驚異的な記録を打ち立てながら、今回の第43部で打ち切りと報じられている。日本人には忘れられない、庶民にとってのよそ者だ。
思えば、石原裕次郎や小林旭をはじめ、「さすらい」の「流れ者」が演じる勧善徴悪映画に拍手喝采した人類共通の感情は、現在のネットの世界とは相容れないものがあるのかも知れない。時代は人の感情のありようを変えたのだ。
アメリカ映画で一世を風靡した西部劇も、やはり地域を牛耳る勢力に抗する「流れ者」のガンマンが主人公だ。「悪」を制し、人々を苦難から救い、助けるという痛快物語だが、今は完全に姿を消した。少数民族インディアン(通称)への配慮はあろうが、それ以上にこういった感情が理解される時代が終焉したことを意味しているように感じる。

◆代表的存在「七人の侍」
黒澤明監督作品「七人の侍」は、作品としてのレベルの高さ、シナリオの素晴らしさ、カメラ技術、役者の演技力等、どれをとってもピカイチだが、野武士集団を撃破した後の農民達の晴れやかな田植え姿に「また負け戦だった」と呟く志村喬の言葉の重さがいつまでも頭から離れない。
よそ者は地域のために一時的には力を発揮し、命を落とすこともあるものの、プロ集団としての役割を果たせば、いずれはよそ者ゆえにその地を去ってゆくべき運命にあるのだ。
もちろん、その地にどっかりと腰を据えて繁盛する集団もあっていい。

◆「バカ者」の行動力
会社の業務改革もその最たるものであるが、決
めたこと、計画したことを迷うことなく突き進む「バカ者」(表現は適切ではないのを承知して使用しています)が、リーダーとして存在しない限り、何事もなし得ないしチェンジも起こらない。会社も変わらない。
目標を立てて、いろいろ議論を重ねながら、いざ実行の段となると次々と故障を言い立てて行動に移らないリーダーは、現代の企業内においても決して少なくない。むしろ、こういった手合いが多いものだ。
バカ者の最右翼として赤穂浪士を指揮した大石内蔵助を挙げたい。 
元々“昼行燈”と陰口を叩かれるほど行動力緩慢な、播州浅野5万石の城代家老。藩主浅野長矩が江戸城中松の廊下で高家吉良義央を斬りつけるという愚挙を実行しなかったら、恐らく歴史上にその名を刻むことは無かったろうと思われる。
内蔵助の〈開城決断〉から、四十七人の同志を選抜し、各メンバーの性格を見抜いた上で討ち入るまでの推移は真偽取り混ぜて諸説あり、本当はどうであったかは分かりかねるが、いずれにしても吉良邸に討ち入り見事本懐を遂げたことは明らかな史実となっている。
一説には吉良と縁戚関係にある名門上杉米沢藩と刺し違える狙いがあったともいわれることは別としても、討ち入りまでの作戦は緻密であり、大石の作戦・行動力は当時の武士団には想定外のことであったろう。
将軍綱吉や側用人柳沢吉保からみれば、大石はまさに「バカ者」の典型であったはずだ。

◆失敗を恐れない行動力
 大石内蔵助が改革者であったとは言えないが、時代の常識を超えたエネルギーを発揮し、あるべき姿を貫いたという意味で「改革者」(バカ者)と言ってもいいだろう。
 一般に、人の行動には「成功したいとする行動」と「失敗を避けようとする行動」の2つがあると、勝間和代氏が米国の心理学者バーナード・ワイナーの「達成動機づけの理論」を朝日新聞2010年11月6日の別刷『be』紙に紹介している。
この理論からみると、大石内蔵助は前者に当たることになる。失敗は頭から恐れてはいなかったことが、目標の設定、および成功への綿密な作戦行動に表われている。
 ワイナーによると、成功志向の動機が強い人と失敗回避の動機が強い人の違いが、次の4つの要因で表わせる、としている。すなわち、(1)本人の「能力」、(2)本人の「努力」、(3)チャレンジした課題の難易度、(4)「運」の4つだ。
 「成功志向の動機の強い人」は、成功したときその理由を自分の努力のたまものと考え、失敗したときは、その逆に努力不足が原因と考える傾向があるという。
一方「失敗回避の動機の強い人」は、成功してもその原因を特定せずに運任せのように考え、失敗したら、自分の「(先天的な)能力不足」を理由とする人が多いと解説している。

◆成功への意欲のない人
 成功への意欲が足りない人は、失敗の原因を、やる気さえあれば誰にでも取り組める努力の問題ではなく、どうにもならない能力の問題や立場に帰することで、努力しなければいけない、というプレッシャーを打ち消そうとしてしまう傾向がある。
 街の再生や、会社の事業再生において、たまたま責任者に指名されることがあっても、失敗したときの自己責任を問われることを恐れて、他に原因を探して問題に真正面から取り組もうとはしない人物が、この典型だ。
バカ者(改革者)になる資格がないのだ。
 過度な努力至上主義や情勢を無視したドンキホーテ式行動はかえって事態を悪くするものではあるが、だからと言ってすべての失敗を「ご時勢」だからとか、「自分の能力不足」のせいにしていると、知らず知らずのうちに、街の再生も会社の再生も諦めてしまうことになりかねない。

◆若者が持つエネルギー
 若者がつねに「成功しようとする行動」を取るとは限らないが、可能性としては、前述の4つの要因をしっかり理解し、実力に相応した課題を選び、運に頼ることなく成功を求め行動を起こす確率は高い。
 リーダーの作戦を信頼し、リーダーの期待に応えるべく積極的に行動しようとする。これが若者のエネルギーであり、リーダーに現状打開の意欲がないと知ると、リーダーを打倒してでも自分達の信じる道に突き進む特性を持っているものだ。
 歴史上、若者が現状に甘んじたことは、ほとんどといってない。若者が現状を容認した時は、改革の流れは停滞し、その淀みは、ある時一気に噴き出る「革命」と呼ばれる現象につながる。
(経営支援アドバイザー)
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