今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi 今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi 今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi 今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi 今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi

今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
宿屋四郎兵衛の筆舌剛健
No.4
「問屋街を超えた“ときめきネットワーク”づくりが
発展に繋がる!」
(問屋連盟通信 2011年11月1日より)
問屋連盟通信 - 筆舌剛健いま百貨店ができること!松屋VS三越

◆JFWーJC2012 開催
 東京ビッグサイトにおいて、10月12〜14日の3日間、“JFWーJC2012”が、開催された。
 今回は、テキスタイルや服飾資材、繊維製品、毛皮・皮革、情報・IT・機械など、多くの出展者が最新のトレンドと新製品を提案、久々の盛り上がりとなった。展示スペースの新製品の数々にも大いに興味があったが、今回はイベントスペースで開催の3つのセミナーに参加した。
 元々、筆者にとっての狙いは『日本発ものづくりプロジェクト』における小林氏((株)エドウイン専務)と貝原氏(カイハラ(株)会長)の対談にあったが、たまたま14日開催の『いま百貨店にできること』を聞くことができた。そこで、百貨店の課題とともに、今地域が何をなすべきかについての、松屋・太田伸之常務執行役員マーチャンダイジング室長のセミナー“銀座ファッション・ウイーク”に注目した。
太田氏は、過去に松屋に在籍したことがあるという。その後退社して、10年間(株)イッセイミヤケの社長を務め、2011年に松屋に復帰されたファッション業界における超有名人の一人である。どちらかといえば、百貨店にとっては“よそ者”といっていい。

◆銀座松屋VS銀座三越
江戸期に創業の名門・松屋(呉服店「鶴屋」の流れを汲む)は、1970年代のオイルショック以来、現在に至るまで経営難が続いている。古屋一族のオーナー経営であり、一時は東武百貨店、伊勢丹が支援し、伊勢丹専務・山中氏が社長として改革に乗り出したことでも知られている。
伊勢丹との関係は深く、現在も各種の業務提携関係が継続中である。ところが、こともあろうに、その伊勢丹が、宿敵銀座三越を有する三越と経営統合(三越伊勢丹ホールディングス)することが2007年に発表され、一気に伊勢丹との関係は冷え込むに至った。松屋が、より一層苦境に立つこととなったのである。
一方の銀座三越。1968(昭和43)年に新築開店され、銀座の中心に位置することで、銀座松屋の地位をも脅かすこととなり、三越の支店群でもダントツの売上高を誇ることになる。2010年9月には、増床オープンも果たして、3・11の震災以前には、多くの観光客(中国人を中心に)を惹きつける銀座の核店舗でもあった。
経営難に喘ぐ松屋にとっては、まさに宿敵中の宿敵そのものだ。

◆GINZA FASHION WEEK
宿敵同士のコラボレーションが、どうして実現したのか。セミナー会場での太田氏曰く「従来の三越であれば実現はしなかったろう。ところが、三越と伊勢丹が一緒になったことで、今回の企画は容易に決定をみた」という。松屋側、三越側共に背後には伊勢丹の影がちらつく。
今までの三越と松屋のトップ同士にこの企画案の稟議を挙げたなら、即座に拒否されたことは想像に難くない。あり得ないことだ。たとえ、企画が通ったとしても、買物袋(両店のロゴマークが並列で入っている)ひとつとっても、両社内でそれぞれが紛糾し、スタートするまでに挫折してしまったかも知れない。
今回の企画案は決定するや、直ちに現場の社員達によって、それぞれの売場での共同作業がガンガン進展したという。

◆「炎上した」現場社員
共同イベントや共同企画のオリジナル商品の販売はもちろんのこと、松屋と三越の「ファッション対決」や「スイーツ対決」等が、次々と現場で企画され実現していく。広報活動でテレビの取材も入ってくる。現場社員にとって、これほどの昂奮はなかったろう。まさに、現場社員は「炎上」した。
このイベント、10月19日〜25日まで、銀座のお客様を“ときめかせる”ことに成功したかどうかは今の段階では明らかではないが、新聞報道等では10月15日に先行オープンした有楽町阪急メンズ館を圧倒した形だ。が、どの程度、松屋、三越両店の10月の売上高に貢献するか、大いに興味が湧く。
明らかに時代は、新しいネットワークを求めて動き始めている。
イベントに火を付けた太田氏は先述の通り生粋の百貨店マンではない。学卒後、ニューヨークを振り出しに海外を拠点に活躍、東京ファッションデザイナー協議会を設立し、初代事務局長に納まっている。百貨店にとっては、まさに“よそ者”だからこその発想だったのか。


これからの問屋街に必要なもの、それは“ときめき”を演出していくことだ

◆問屋街独自のネットワークをつくろう
 3・11震災の復興で際立ったのは、中小企業集団の力の凄さにあったということを聞いた。
 被災した工場には全国から支援が集まり、まさに「寄って、たかって」工場を再建し、設備を入れ、さらに人まで派遣して来たという。この中小企業のネットワークは、若手の経営者が中心となり、北海道から鹿児島までを網羅していると言われている。
 中には、仕事の肩代わりまで行われた模様という。これは、被災した東北の工場に代わり、九州の知り合いの工場が生産し、東京や大阪の百貨店等に商品を納入したというのだ(もちろん、納品は東北の会社名で)。当該工場の社長は、「遠くの会社だから頼めた。近くの工場はライバル関係にあるから頼めない」という。遠方といえども、この事例は、日頃の付き合いの重要性を教えている。
 教訓は、問屋街の中では異業種との交流を、遠方(海外を含む)とは同業者同士との交流を深めておくことで、いざとなったら助け合えるネットワークをつくっておくことにある。
 もちろん取引先としての関係は深いだろうが、お互いの地域同業同士でのネットワークづくりを積極的に進めておくことが今後の課題となるだろう。

◆“ときめき”は、モノづくりから始まる
 特に、問屋街に必要とされるネットワークづくりは、地域経済を構成するところの地方産地を中心とした製造業集団(農漁業も含む)との連携にある。
 これは、何もアパレル製品に限ったことではなく、あらゆる業種に共通する課題なのだ。問屋業はいうまでもなく製造業なくしては成立しない。しかし、製造業は今や問屋業(卸売業)なくしても直接に小売業、消費者とつながることで生存し得る立場に立っている。現に、この流れは止めようがない勢いを増している。
 とはいうものの、地域経済が生み出す産品をどのような販路で、どのように売っていけばいいのかを熟知した産地は、決して多くはなく、また、過去にチャレンジした結果、大やけどを負い、結局は問屋(卸売業)とのコラボレーションを望む声は全国各地に満ちていると言っていいのだ。
 問題は、これらの商品の「受け皿」がない、という実態だ。過去のような「安さ」を売りにした業態はもはや成り立たない。まさに、問屋街の出番なのではないか。地域との連携によるオリジナル商品を、「安く」出せるビジネスモデルを構築したなら、問屋街としての生き残りには大いに可能性があるのだ。

◆“ときめき”のある街へ
 たまたまJR総武線浅草橋駅下で、明らかに仕入れに来たらしい、荷物を抱えた二人のご婦人の会話が耳に飛び込んできた。「どこのお店も一緒よね。同じものが置いてあるもの。値段も変わらないし……、これでは……」。じっと聞いているわけにはいかないので、その後の会話の結論は分からない。
 しかし、この会話からは、今の問屋街には“ときめき”を感じることができないのだということが分かる。小売店さんも、まだまだ「安さ」を求めてお見えになっているのだろう。その中で、いち早く“ときめき”を演出する勇気ある行動が各社に求められているはずだ。
 “ときめき”素材を提供してくれる若者達は、巷に溢れている。これらの人財とのコラボこそ問屋街を変える原動力となろう。


TPP是か非か、に見る守旧派VS改革派 

◆守るべきものとは何か
政府や各党が叫ぶような「成長戦略」など、もはや日本にはあり得ない。あるとすれば、それは「成熟戦略」とでも呼ぶべきものであろう。
 日本の経済成長は、決して低くはない。中国等の発展途上国と比較しても意味はない。成熟国レベルでの高い経済成長をもってしても、雇用は減少し、平均給与水準が上がることはない。失業率は先進国中では低いが、正社員数は減少し、非正規やパート、アルバイト数は増加し、新卒採用は減少の一途を辿る。明らかに「成熟戦略」の時代に入ったのだ。
 いま国会は「TPP」(環太平洋戦略的経済連携協定)の是非で揺れている。
反対論者は過去において、総じてこの種の政策に翻弄され、痛い目に遭ってきたキャリア豊富な議員が多く、若手議員達を諭すような口ぶりで対応する。一理あるのだ。
 賛成論者は、得てして実務経験が浅く、机の上の論理で、今この機会を逃すことは将来の国益を損なうことになると声高に叫ぶ。戦後この方、一見日本に尽くしてくれたはずの米国のウラの顔を経験上知らない。止むを得ないことではある。
 守旧派対改革派の抗争は、いつの時代にもついて回るものだ。また、いかなる組織にも、この抗争は絶えて無くなることはない。
 時代・環境が変化する以上、同じ体制で組織が変わらないことが衰退を意味することは、過去の歴史が証明している。だからこそ、守旧派に求められることは改革派との対決ではなく、適切なアドバイスに徹することではないか。
(経営支援アドバイザー)
←
←
↑
→
↑
copyright IMAJUKU by IMASHUKU