今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の筆舌剛健
No.24
「社長は経営の責任者として、
顧客と従業員の生活を守らなければならない!」
(問屋連盟通信 2012年9月1日より)
問屋連盟通信 - 筆舌剛健歴史ある企業といえども時代に沿った経営が行われない限り消滅する

 またしても、時代と共に発展してきた名門企業が破綻に追い込まれた。決して努力・工夫を怠ったわけではあるまいと思う。しかし、結果的には過去の成功した延長線上で経営を進めていけば、との油断があり、いずれ「景気さえ回復すれば」何とかなるとの情勢判断に甘さがあったのではないか、と思う。
 企業名を伏せることなく、実名で、以下に破綻に向かう企業の実態を紹介したいと思う。企業の規模が大きければ大きいほど、負の連鎖を受ける企業も多いはずだ。ここから、私たちが置かれている環境を、しっかり学び取る必要があろう。

◆五十嵐貿易の自己破産
横浜繊維業界の名士でもあった五十嵐貿易が自己破産に追い込まれた。
8月14日、東京地裁から破産手続き開始の決定が下りたのだ。
五十嵐貿易は1931年(昭和6年)、絹繊維卸売業を目的に「五十嵐義昌商店」を創業し、1947年(昭和22年)に現商号で法人化、横浜を本拠とした、まさに名門中の名門繊維卸企業である。
婦人服向け生地が事業の中心であったが、その後アパレル製品の企画・製造・販売へと業容を拡大し、1992年(平成4年)3月期に、その年商は231億9千735万円に達していたのだ。
その後、中国に現地法人を設立するなどの積極策で事業を拡大し業績の維持を企図してきたが、徐々に市況後退に伴う有力得意先からの受注減が続き、固定費削減手段としてのリストラによる事業規模縮小を余儀なくされるに至る。
長引く不況から、無理な販売努力が多額の不良債権を抱えることとなり資金繰りに追われた結果が、今回の自己破産につながっているのだ。
近年の業績推移から判断する限り、これは普通の経営が行われていたとは思えない極端な状態でもあり、典型的な破滅のコースであったことを示している。
年商は以下の通り(カッコ内は純利益)。
平成22・3/79億7千906万6千円(▲2億2千5百94万8千円)
平成23・3/63億6千2百55万3千円(1千2百76万9千円)
平成24・3/52億9千5百60万8千円(▲7千4百48万9千円)
 旧大阪支店の火災による損害賠償金等の特別損失計上も大幅赤字の原因となった模様だ。
 小伝馬町の交差点近くのビルには、一時東京事務所があり、筆者の友人(現在はリタイアしている)の許に幾度か訪問していただけに感慨無量だ。

◆五十嵐貿易(株)概要
 ホームページに残る同社の概要は、
・資本金 3億円
・(代)会長五十嵐和夫
・(取)社長五十嵐義彦
・従業員 42名(平成23・3末現在)
・取引銀行 横浜銀行
  三菱東京UFJ銀行
  みずほ銀行
  商工中金
・主要株主
  帝人ファイバー
  五十嵐義彦
三共生興株式会社
横浜振興株式会社
株式会社横浜銀行
ーーという、堂々たる繊維総合卸の名門企業だ。
五十嵐義彦氏は平成21年4月、帝人株式会社勤務から急遽呼び戻され、22年6月に取締役、23年(2011年)取締役社長に就任している。
“歴史は新しい時代に。市場の変化は早い。
自らに変革を求め、新しい可能性を提案し続けます”とは、新社長の抱負だ。

◆負債額31億8千5百85万円
 (株)信用交換所の『信用情報』8/17号によれば、申立時の負債額は、債権者500余名に対し、31億8千585万円(内訳は、買掛金4億2538万円、支払手形3億8千498万円、長短期借入金16億5千73万円、未払い金4千323万円、預り保証金366万円、リース658万円等)となっていると報じている。
 買掛金の明細を見るとさすがに中国企業が多く、フランス、香港、インド、台湾、韓国等の海外企業が目立つ。国内企業は、帝人ファイバーや東洋紡の大手企業もあるが、圧倒的に地方の生地メーカー、縫製業者の名前が列挙されており、地域経済に与える打撃から連鎖倒産の恐れも多分に懸念される。
(以上は、確定債権ではなく、ファクタリングや取引信用保険による保全分も含まれており、債権額は変動している可能性があると『信用情報』は注記している)

破産に至る経緯(『信用情報』8/20号より)
(1)略
(2)昭和63年(1988)現代表者五十嵐和夫氏が代表取締役に就任。平成4(1992)年時の決算書によれば、剰余金・法定準備金は26億円に達していた。
 平成5年(1993)以降、バブル崩壊の影響もあって業績は伸び悩み、10年(1998)からは減益の時代を迎えた。同時に業績は縮小を続け、遂に24年(2012・3)には、年商53億円にまで低下した。
(3)五十嵐代表は、豊富な剰余金を背景にして、昭和40年代の苦しい時代を経験した当時の経営幹部の厳しい商売手法を継承せず、彼らの引退と共に“社風”に甘さが生じることとなった。
これが今回の致命傷ともなる不良債権の増大につながっていく。
 代表は、商社という信用を付与すべき体質にも関らず、社内での「与信付与についての明確なルール」や「決裁権限の明確な取り決め」も行わず、各営業責任者の能力や知見・感覚に依存した商売を行っていたと思われる。会社の予算すら組んでいなかったという。
(4)平成20年(2008)頃から巨額の滞留債権が発生し始める。
ア.平成22年には、約7億円の売掛債権を有していたA社が支払遅延に陥ることとなる。会社はA社に対して、内3億8千万円の「金銭消費貸借契約」を結び期日毎の支払確約を、残額は随時支払とする措置を採った。
 しかし、実際はこの契約は6カ月も経たないで履行が不可能となり、毎月定額の100万円返済まで譲歩している。(約6億8千万円の不良債権が残った)
イ.B社は、平成20年頃より売掛金滞留が膨らみ始め、改善策が見つからないとして、さらなる出血を止めるためにB社との取引を停止した。この時点で債権は回収不能が確定した(売掛金残高4億8千万円)。
ウ.平成21年、約4億5千万円の売上債権のC社の支払が滞留した。C社は破綻したU・F・O(株)の関連会社であり、回収は不可能となった。(U・F・O(株)は負債総額360億円で破綻したアパレル製造業)
エ.その他、数千万円単位の不良債権が16社程度あり、不良債権の合計額は、15〜17億円に達していた。

◆管理体制不備と海外取引リスク対策の徹底
 破綻の流れは、平成22年に資金ショートしたことから始まった。この頃すでに社内留保金は底をついており、不良債権の累積で資金繰りは破綻状態であり、国内向けの支払はしたものの海外向け約定の支払は遅滞するに至っていた。
加えて、債権取立てに伴う訴訟問題の発生や旧大阪支店の火災に伴う損害補償問題(どちらも敗訴)を抱えていた。打撃となったのは、平成24・2月、横浜税関の事後調査で明らかになった書類の不備とそれによる追徴金重加算税を含む修正申告の申し渡しである(結果は、重加算税は適用されない修正申告となったが)。
日本から中国に生地を輸出し、中国で製品にして日本に輸入するという一般的な取引であり、書類その他の整備をキチンと履行しておれば起こり得ないトラブルである。ここにも社内管理体制の杜撰(ずさん)さが窺える。(以上、(株)信用交換所『信用情報』を参考にして、筆者の私見も加えさせていただいた)


企業経営は、「変えるべきことと変えてはいけないこと」の分別を明確にすること

◆会社の破綻は“人災”だ
五十嵐貿易の破綻へのシナリオは、事情はさまざまながら日本橋の堀留町や久松町、大伝馬町、小伝馬町、富沢町等多くの企業が通過し、破綻してきた道でもある。
呉服(きもの)全盛時代からテキスタイル問屋への業容拡大、さらに必然的にこの道はアパレル事業への進出につながっていた。そして、海外生産全盛時代へ。会社の運営体制はそのままで、目先の売上高、粗利拡大を追って次々と事業を拡大させていく。
五十嵐貿易の事例から学ぶべきことは多いはずだ。資金繰りや、与信問題、さらに権限委譲とは「放任」を意味することではないことーー。
リストラや人の交代で「暗黙知」が消滅するリスクを避けるために、社内の管理体制は明確に、チェック体制も整備しておくべきだ。

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