今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の辛談辛語
No.50
「“残しながら”“蘇らせながら”“創っていく”日本橋」
(日本橋再生計画コンセプト)
(問屋連盟通信 2011年6月20日号より)
問屋連盟通信 - 辛談辛語日本橋は商業の街
 「伝統と革新の融合でまちを再生」させようと地域の人々が立ちあがった“お江戸日本橋”。
 日本橋といえば、日本橋川に架かる橋のこと。橋が架けられたのは江戸に幕府が開かれた慶長8(1603)年。翌年には東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道の起点となる。まさに、日本の中心の橋でもあり、「日本橋」の名が相応しい。
 今では、7つの国道のスタートの地点として橋上の路面中央に「日本国道路元標」が埋め込まれていることは皆さんもご存知だ。
 日本橋川とは、「大川」と通称された隅田川から全国の物資を江戸城に運ぶための水路で、橋の周辺は江戸一番の殷賑を極めた商業地である。橋のたもとに「魚市場」のあったことを伝える「碑」が建っている。
 世界一の大都市として、江戸は最盛期に武士、町人で100万人を数えたという。言うまでもなく、この人数には馬喰横山の人々も含まれている。
 元禄文化が花咲いた頃の1673年には、その日本橋に「越後屋呉服店」(三越の前身)が開業し、1690(元禄3)年には、横山町に煙管問屋丹波屋が創業している。
 現在堀留町にある寝具の西川が、日本橋一丁目に支店を開設したのは、1615(元和元)年のこと。江戸城を中心とする武士団に対し、日本橋は商人の街であった。

日本橋再生計画
 日本橋は、関東大震災と東京大空襲によって2度にわたり焦土と化した。それにも関らず、いずれの苦難にも屈せず、商人自身の手で再興が図られてきたことは、歴史が証明している事実である(馬喰横山問屋街再建の槌音は、(協)東京問屋連盟・平成元年12月刊『問屋街の歴史と四十年の歩み』に詳しい)。
 高度経済成長と共に発展してきた日本橋一帯にも危機が訪れる。歴史を誇る日本橋川の上に東京オリンピックに合わせて高速道路が建設されたことだ。日本橋の象徴たる「橋」そのものが無視されるという事態だ。
 日本橋の繁栄は、三越、白木屋(後の東急百貨店)、高島屋という日本を代表する百貨店と多くの名門老舗専門店で継続されてきたにも関らず、その地盤は時代と共に沈下してきたことは否定できない。
 その日本橋も今や三井グループが中心となって、まず重要文化財「三井本館」を再開発し、第二弾「コレド室町」、「ユイト/日本橋室町野村ビル」の建設と計画的に再生計画が進行している。

“街づくり“は住民の結束と日々の努力で!
 確かに、日本橋は三井グループという大資本の本拠地ではある。しかし、日本橋の住民は決して大資本に依存しようとはしていない点に注目したい。
 日本橋のエッセンスとは、住民自身が“時代に媚びず、流されず、自分の街への誇りと愛着”をもって、日本橋を再生させようとしていることである。
 このことは、「日本橋横山町」「日本橋馬喰町」「日本橋本町」「日本橋室町」など、必ず町名の頭に「日本橋」を付けるという徹底したこだわりに表われてもいる。このことに、先ず注目したい。お金には換えることのできない「日本橋」の魅力がそこには存在する。
 現在、19の町名に「日本橋」が冠されているのだ。
 日本橋の地名には、21世紀の今日といえども、いくら時代の成熟化が進もうとも滅びることのない強い信念が息づいている。日本橋を冠する各町がそれぞれの伝統を残し、蘇らせ、そして新しい街を創造していくことが、今、最も求められているのではないか。
 日本全国の衣料を中心とした「現金取引流通の拠点」としての日本橋馬喰横山には、今日までの伝統から何を残し、継続し、そして次に創造すべきものに何があるのか、本気で取組むべき時期が迫っている。先人の汗と努力の結晶を無駄にすることはできまい。
  1. 街をマネジメントする取組み
     問屋街には、(協)東京問屋連盟と横山町奉仕会の2つの組織がある。
     この2つの組織は、「問屋街活性化委員会」というブリッジでつながっている。顧客である小売店さんにとっても、仕入先であるメーカーさんにとっても、どちらも同じ組織に見える。でも違う。「仕入れカード」も別々だ。もっと統一した行動は取れないものか。
     中央区は地元に信頼できる「まちづくり組織」がある場合は、建築確認申請等の法令手続きに先立ち、地元組織が開発業者と「まちづくり協議」を行うことを決め、その結果を尊重する行政を行っている。
     例えば、「銀座デザイン協議会」が建物の意匠・デザインに関して事業者と設計者との話し合いを積極的に進めているように、当地でも町会だけでなく、問屋街活性化委員会が積極的に街づくりをリードしていくことはできないか。同じ問屋業務を営んでいても、扱う商品で会社の動き方も異なり、一緒にできないことは承知の上で、できることからやってみてはどうだろうか。

  2. 緑をまちなかに育てよう!
     これは日本橋中央通りの発想をいただいたものである。中央通りには街路樹がない。季節の花が彩りを添えているが、全体としてはコンクリートに囲まれた無機質な景観である。
     この点、問屋街には、もちろん江戸通りや横山町大通り、清洲橋通り、清杉通りなどには大きな店は並ぶものの、ファッション店のファサードには色とりどりの商品がびっしりと並び、シーズンの到来を告げる華やかさに溢れている。
     だが、問屋ならではの段ボールが歩行者用の通路を占拠していることも決して例外ではない。これこそが、問屋街のイメージであると声高に叫んできた時代もあったろう。しかし、これからの時代には通じなくなるだろうことは、無意識に各商社の社員も感じているはずだ。
     日本橋中央通りは、別名“はな街道”としてのイメージを定着させつつある。統一した季節の花を各社のビル前の車道寄りに花壇を設置し、通行客の目を楽しませている。
     一説によると、地下を走るメトロ銀座線が地表の浅いところを走っているため、大きな街路樹が植えられないそうだ。そこで、大きなポットに緑の樹木を、ビルの立て替え時にはファサードにポケット・パークを置くなど工夫している。
     清州橋通りから横山町大通りに入る角の「ユニフォームの星和」さんには、誰でも座ることができる木製の長椅子が設置されている。面白い試みだと感心する。

  3. まちに回遊性をたかめよう!
     馬喰横山問屋街といえども、決して広くはない。それでいて目指すお店を探すには、初めてのお客さんにとっては結構苦痛を伴うらしい。同じようなお店(問屋さん)が続くのと、問屋街の中の通路が複雑になっているため、「あれっ」この道じゃなかったわ、ということで、疲れも倍することになる。
     問屋連盟会館や奉仕会館には、問屋街の地図も用意されており、これを使えば大概のお店に辿りつける。しかし、全体に案内サインは弱い感じがする。「案内サイン」そのものが名物となるような美しいファッショナブルなサインを用意することで、問屋街のイメージアップが可能になるのでは、そんな気がする。

  4. まちなかで贅沢な時間をすごす空間づくり
     先述の星和横山町店さんの例もその走りのような気がする。贅沢な時間を過ごせる場所とはいえないが、チョッとしたサービスがお客様の心を癒やすのではないか。
     これは、連盟会館や奉仕会館の活用とも関連するが、「問屋街は、商品を仕入れる真剣勝負の場所であって、楽しむところなんて、とんでもない!」との反論が予想されるが、あえて提言しておきたい。消費の成熟化だの、タンスの中は一杯だのと頭では分かっているつもりでも、消費者の本当の気持ちは分かっていない。
     忌野清志郎が叫ぶ「楽しんでるかい!」のイメージが耳から離れない。問屋街は楽しくなくてはならない。ショッピングとは、すべての人の憧れであり、楽しみであり、また最高のレジャーだったではないですか。

  5. ビジネスの成否は「製品の品質・価格」ではなく「顧客が抱くイメージ」で決まる
     問屋街の価値を高めるポイントは、もはや「品質」や「価格」、「商品ラインの多さ」や「在庫量の豊富さ」にはない。
     顧客が持つ「問屋街のイメージ」こそが、今後の問屋街の命運を握っているといってもいい。顧客に「良いイメージ・ワクワク感」を持ってもらうことに全商社が力を合わせる時ではないか。
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