今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の筆舌剛健
No.11
「時代の変化に対応し、
新たなビジネスを創造するのが問屋業の使命だ!」
(問屋連盟通信 2012年2月20日より)
問屋連盟通信 - 筆舌剛健“問屋業”が世界的大企業に発展した理由

◆“日本橋から”
 『日本橋から』という昭和6年に発表された古賀政男作曲・浜田広介作詞による初期の流行歌がある。
 “(日本)橋の上からあちらを見たりゃ あちら葭町(芳町)人形町で 
ヤレサ鳴るのは三味太鼓”と唄われている。さすがに馬喰町横山町までは見えなかったようだ。  
一方、“橋の上からこちらを見たりゃ ならぶ建物ほこりの雲で ヤレサ悲しい入日空(いりひぞら)”とも唄われている。
 現在、橋の“こちら”側には壁面に「K&K」のマークと共に大画面のTV画像で常時CMを流しているビルがある。もちろん、橋の上には不細工な首都高速道路が横たわっており、江戸から昭和初期の面影など微塵も残っていない。
 日本橋再開発計画の中心は三井グループが進めており、日本橋川の洗浄とともに橋の上に横たわる首都高速道路の架け替えという大問題を抱え込んでいるが、このこととこのK&Kのビルと直接関係はない。

◆知名度の低い「問屋」業
今話題の映画、阿部寛主演の、流行作家東野圭吾作『麒麟の翼』の舞台が、この日本橋である。TV番組『新参者』(人形町・小伝馬町などが舞台となっていた)で高視聴率を稼いだ劇場版である。
 映画の宣伝を兼ねて、日本橋の上でTVアナが「こちら側の建物(反対側の建物は野村証券の赤レンガ仕様)をご存知ですか?」と問いかけていた。まず通行客のほとんどが「知らない」。「K&Kって名前、知りません?」。年配者の幾人かが「あぁ! そうだ、あの缶詰の!」と突然答えていたのが印象的であった。
 国分(株)、なんて卸売会社、連結年商1兆4千億円(非上場)を誇る大企業ながら、缶詰でお世話になった昔の世代がかろうじて知っている程度の企業なのだ。直接消費者との接点がない分、この馬喰町横山町問屋街と似ている。
 大手商社の参入で多くの食品問屋が消滅し、また多くの問屋が統合・合併に追い込まれた食品流通業界再編の中で、ドッコイ! 国分は今なおしぶとく生き残っている。
 生き残りどころか、なお発展していく問屋業としての国分に、業態こそ違え問屋街企業にとっては範とすべき点が実に多い。確かに、国分にはオリジナル・ブランドと言えるものは、K&Kの缶詰くらいであり、あとは文字通り有力食品製造業ブランドの流通を担っている。

◆世界的問屋「国分」誕生
 以下は、国分株式会社のホームページからの引用である。〈1712年(正徳2年)創業以来、300年に渡り食の流通に携わってきました〉から始まる。
〈生活者の嗜好、ライフスタイルや流通形態など、食を取り巻く環境は変化をし続けています。国分グループは、問屋機能の発揮を通じて、生活者と食を通じて接点を持つ事業者と幅広くお取引をいただく「顧客」、品揃えの幅を広げる「カテゴリー」、国内流通とともに海外への展開を図る「エリア」、ネットビジネスやシルバービジネスなどの新しい「ビジネスモデル」の構築の4つの軸で事業拡大を図っていきます。
 これらの事業を進める上で、心がけなければならないものは『小商い』という考えです。
 『小商い』とは、食を取り扱われるすべてのお得意先様、仕入先様のニーズにお応えし、一つひとつ地道に、丁寧に国分の機能、クオリティを発揮していくことだと考えています。
 これからも社是の『信用』を大切に、皆さまのお役に立てる企業として新たな革新に挑んでいきます〉(代表取締役会長兼社長・十二代國分勘兵衛)と述べられている。

◆『小商い』に徹する問屋
 この国分(株)の経営方針で注目すべきは、
〈問屋の目利きを研ぎ澄ました“小商い”を大切にすることは、第9次長期経営計画の重要な視点です。“小商い”とは、規模の大小ではなく、お取引いただくすべてのお得意先様、仕入先様のニーズにお応えすべく、一つひとつ地道に、丁寧に国分の機能、クオリティを発揮する商いを心がけること〉なのだ。
 国分は明らかに、今なお「問屋」としてのプライドを高らかに宣言し、『なんとなく』問屋業を続けていく気持など毛頭持ち合わせてはいないことが分かる。
 創業300年を迎えた同社は、「既存事業のさらなる強化」と「新たな分野へのチャレンジ」を2本柱に、「問屋の精神を秘めながらも問屋の枠にとらわれない挑戦的・革新的姿勢を「国分スタンス」として企業価値を高め、今後「国分ブランド」を確立していく、と宣言している。 


ファッションは人生の“希望”でなくてはならないーー問屋街の使命

◆変化を恐れてはいけない。変化こそファッションそのものだ!
 食はファッションであり、顧客を常に意識し、顧客の求めるものは、たとえそれが“小商い”で終わろうとも必ずお届けする、ということが国分の社是『信用』なのだ。
問屋業は、時代が刻々と変化し、常に新しい時代・生活者に合わせた商品をお届けできるビジネスを展開していかねばならない。いつまでも過去の成功体験や手法で企業が存続できるわけがないことを国分は証明しているのだ。
 この街で「来街者の減少」を嘆く声は極めて多い。しかし、この事実を天の啓示と受け取れば、嘆くこと自体が「問屋街が旧態依然として何ら変わっていない」ことを自ら証明しているに過ぎない。考えようでは、全国の街の商店街がシャッター通りと化した原因は、問屋街企業の不勉強であり、元気の無さにあるとも言えるのではないか。
 ファッションがアパレルとイコールと考えられた時代はすでに終わっている。ファッションとは消費者のライフスタイルそのものなのだ。この問屋街企業は、どの業種といえども消費者のライフスタイルの変化に貢献しなければなるまい。
 今や、ファッションは、人生の明日への“希望”なのだ。
 問屋街には競合店は多い。当然だ。お客さまは比較することで、どちらの商社の商品を仕入れるかを決める。勘違いしてはいけない。競争相手は同業企業ではなく、お客さまのニーズにあり、お客さまに遅れをとった方が負けることになる。
 この問屋街で、先述の国分(株)に勝るとも劣らぬ歴史を持つ問屋企業さんが元気だ。いずれの問屋企業も「成功の歴史」を語られることはほとんどない。むしろ、創業時からの「変化の歴史」を語られることで評価されているのだ。

◆変化は情熱・昂奮を招く
 変化に対峙する問屋には活気が満ち溢れ、社員一人一人の商品への想いが情熱となってお客さまを惹き付ける。お客さまである小売店さんの「伝える力」は、それぞれの地域の“希望の力”
に変貌していく。
 これこそ問屋の大義そのものではないか。
(経営支援アドバイザー)
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