今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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染協ニュース(日本染色協会 広報誌「染協ニュース」)投稿集

vol.241 2009 APR
取引正常化が繊維産業再生の条件だ

(社)中小企業診断協会東京支部
中小企業診断士 今宿 博史

1. 消費の成熟化

 今更、日本のファッション消費においては成熟化も個性化も、あるいは多様化も格差もないもんだ。著名デザイナーであろうと、素人の駆け出しであろうと、時代を捉える感性にはほとんど差がない。まして、その時代を捉え、衣装に表現するファッションの力など今のプロを自称するアパレルデザイナー達には無理なのだ。
伊藤忠ファッションシステム(株)川島蓉子氏は、その著作の中で
「“まち・みせ・ひと” から市場を読むことー私は、おおよそ20年にわたって、これを生業(なりわい)としてきた。(略)時代を取り巻く環境は、ここ数年で大きな揺らぎを見せている。加速度的に変化している”まち・みせ・ひと“の動きに対して、舵取りができない企業が増えているのだ。」(『ビームス戦略』PHP04年刊)
と述べている。氏は、同時に
「ファッションこそ、世の中の動きがもっとも早い段階で現象化する」ことを意味する「広義のファッション」で考えなければならないと提唱されてきた。
川島氏の表現を借りるならば「多様化に向けて駆け上がってきた七十年代、バブル景気下できらびやかな消費が花開いた八十年代、バブルがはじけて混迷した九十年代、そして先行き不透明感が続いている新世紀初頭の数年間」(同著)において、世界経済は、「産業資本主義」から、本格的な「金融資本主義」の時代に入ってしまった。
繊維に、あるいはファッションに関わった多くの人達・企業群は、この流れの中で何を感じ、どんな企業行動を取ってきたのか。そして、「何を失ってきた」のであろうか。

2. 繊維産業は存在し得るのか

日本における繊維ファッション産業の市場規模は、一般に45兆円と言われている。なんと生産規模では、94年の半額に過ぎない。日本の繊維産業は再生どころか、このまま急坂を転げ落ちていくことになる。
これは、繊維原料から糸・織物、染色加工、縫製、製品化、そして消費者にわたる各工程の出荷額を合計した数字である(日本化学繊維部会等)。一方で最終消費額は11兆円弱とも言われている(経済産業省、矢野経済研究所等)。この数字の落差で見る限りにおいても、その生産流通過程の複雑な取引形態など、繊維産業における“ムダ”の多さは未だに半端ではない。
繊維ファッション産業に従事している人は、05年で153万9000人(「ファッション リーダーズ」08年日本繊維新聞社刊)、また、全製造業従事者に占める繊維産業従事者の比率5.6%という割合であり、さらに減少傾向にある。人口の約1割が繊維産業で生活していたと言われた時代とは、まさに様変わりの状態だ。この154万弱の人達、1日たりとも今日のこのような状況を「よし」とはしていまい。
※表(1)「ファッション リーダーズ」(日本繊維新聞08年刊より
グローバリゼーションの進化、東欧や中国の共産圏諸国・後進地域の資本主義化によって世界経済は大きく変動を余儀なくされてきた。言い換えれば、繊維産業にとって「下請コスト」がけた違いに低い地域が突然に出現したのだ。
当然のことながら、国際競争力のある川上企業(紡績・化合繊企業等)が、競争優位を求めてコストのかからない生産基地を国内から海外に移転させてきた。また、川下に当たる繊維製品を扱う大手アパレル企業・流通企業等も、世界有数の激戦マーケット日本で勝ち抜くべく、コスト高に喘ぐ国内産地に見切りをつけて、低労賃の中国を中心とした海外生産基地にアパレル製品の生産基盤を移し製品輸入を強化させてきたのだ。

3. 伝統産業から高度化産業への夢

日本有数の伝統を持つ繊維産業は、衣・食・住の中でも、最も複雑な生産過程・流通組織を有し、市場規模に比し過多かつ、典型的零細の企業群で構成されている。すべての生産段階で過剰在庫を持つことが産業全体を維持するバッファーとなり、産業そのものを形成してきた。繊維産業全体に陰に陽に圧倒的指導力を果たしてきた総合商社・繊維専門商社、あるいは産元商社ですら、その全貌は明らかとはなってはいまいのではと思われる。
産業の前途を憂えた多くの事業者・経営者は古来決して皆無ではなかった。日本有数の大企業に君臨した紡績業・化合繊企業、あるいは百貨店等の経営者は、お互いの企業基盤を安定させるためには不透明感の強い川上ー川下を効率的、合理的に「見える化」が絶対条件となると考えてきた。そこへ折からの、アパレル企業群の興隆である。大半のアパレル企業は、「問屋」を出自とした典型的ファブレス企業である。自社ブラドのために、生産構造の改革、効率化・合理化を期待したのも当然と言える。
アパレル企業を核としての繊維産業(生産から店頭・消費まで)の一貫化が、IT(情報革命)の進化によって、一気に実現の可能性を高めたのである。その努力の形が、未完成ながら今日なお継続中の事業として、「RA(百貨店ーアパレル間)」「TA(テキスタイルーアパレル間)」プロジェクト等に若干の成果を見ることはできる。
しかし、改めて述べるまでもなくあまりにもITによる改革にはほど遠い零細過多、かつ複雑な小企業群で構成される繊維産業の生産各段階の現実が壁として存在した。
通商産業省(現、経済産業省)の厚い支援を受けながらも、官主導のペーパープラン(強制的に各段階別業種別組合を集めての談合)は、結局は、水の流れを川上に逆流させることはできなかった。むしろ、政策に期待すべきは、時代に逆行するような業種別組合の存在を整理・統合し、製品生産の流れに沿って個別企業を合併・統合させるべきであったのだ。
産業全体の高度化事業の夢は、潰えた。

4. 生活産業化するファッション

消費者の期待するアパレル価格は、もはやコスト面から国内生産では成し得ないことが明らかとなった。
消費者の願いを可能にする生産拠点が、近場に存在したのだ。従来の繊維製品生産の慣行を改めるには百年の歳月を要するが、新しくスタートするところ(中国を中心に)は、当然ながら、直ぐに着手できるのである。これは、自然の理である。
資本の論理が、経産省の企図する繊維産業強化・再生という大義を圧倒し去ったのである。
多くの大手商社・繊維専門商社の主導のもと繊維製品の輸入浸透率(数量ベース)は、93%超(80年当時17%、90年48%)を示し(日本繊維新聞社前掲書より)、結果、川中に当たる繊維製造業の多くが、この10年で半減したのである。経済産業省(旧通商産業省)が支え続けた繊維製造産業の中核たる中小・零細企業の再生はならず、繊維産業の段階的崩壊を阻止することはできなかったのである。
この傾向は、ユニクロに代表される低価格カジュアルウエアの急激な拡大に代表されるように、また、この流れを圧倒的に支持してきたヤングを中心とする消費者の衣料に対する価値観の変化によって可能ともなったのである。よく言われる衣服の「ハレ」と「ケ」の区分けを消費者が消滅させてしまったのだ。この流れは、今やミセス、シルバー層にまで及んでいる。
製品価格の下落が一般的流れにあったとはいえ、今、国内で流通する衣料品のうち「メード・イン・ジャパン」製品は、10枚の中1枚弱にも満たない現状となり、一時は「国産」にこだわり続けた百貨店売場でさえ、この流れを押しとどめることは不可能となった。「国産」にこだわり続けた消費者の存在自体が、」消え失せてしまったことこそグローバリゼーションの証なのだ。
百貨店の高価格ゾーンは、今なお一定の顧客層を持つものと信じられているものの、欧米を中心としたラグジュアリー・ブランドの百貨店離れ(銀座・青山・原宿等への直営ショップ建設)は拍車がかかっており、業態としての百貨店そのものの存在も危機に立っていると言わざるを得ない。
H&M(へネス&モーリッツ)、GAP、ZARA、さらにTOPSHOP等海外の著名SPA企業群の日本における店舗網の拡大は、そのVMDにおいて日本企業とは格段のファッション運営技術を持つ経営体であることを否定できない。ワールドやオンワード、あるいはサンエーインターナショナル、三陽商会、ファイブフォックス等といった日本の名だたるアパレル系の企業群ですら、容易には対抗できないノウハウを有しているのだ。
まして、20世紀型専門店(アパレルブランドの仕入型専門店チェーン)が、その展開技術において対抗すべきすべは、全く無いと断言せざるを得ない。しまむらは、別格として、かろうじてビームス、UA、シップス、ポイント等のいわゆる「セレクトショップ」と称されるグループや、新たな経営理念のもと創業を果たしていくアパレル製品にのみこだわらない品揃えの「生活・環境重視型」とでもいうべき新業態小売企業の成長を待つ状況である。

5.「繊維ビジョン」の登場

 繊維工業が長くわが日本の基幹産業であり、戦艦大和や名機ゼロ戦を生み出し、無謀ともいえる世界大戦の一方の主役たりえた歴史を持つことは否定できない。
 敗戦後もわが国経済復興の主役として先導役を務め、「産業近代化」「構造改善」の範例として、常に時の政府は繊維産業に対して異常な関心を示してきた。そのことが結果として繊維産業を政治的に利用し、また繊維産業そのものの自立を妨げ、自壊への道筋をつけてきた可能性も大いにある。
 56年(昭31)「繊維工業設備臨時措置法」(繊維旧法)が成立する。
 これは、折からの朝鮮戦争の特需による生産力増大により、54年以降発生した合成繊維の需給ギャップの調整を図ることが目的であり、紡績・織布設備の増設禁止、織機買い上げ、操業短縮などを求めた。
 64年(昭39年)あらたに「繊維新法」を策定し、産業構造の高度化、自由競争体制への移行を目指した企業体質づくりを図る。繊維産業とは名ばかりの複雑多岐にわたる中小零細企業の集まりであり、「アパレル」という言葉さえ存在しない時代の企業群にとって、経営改善とは所詮無縁の世界であった。
 65年(昭40年)通商産業省は、当時の業界団体役員や学者等で構成する諮問会議を開催し、66年(昭41)「特定産業および特定織布業の構造改善に係る繊構審・産構審の答申」を受ける。この答申に政府は予算措置を取り、67年(昭42年)「特定繊維工業構造改善臨時措置法」を制定するに至るのである。
 いわゆる「繊維ビジョン」の誕生であり、以来5年毎に改定版が出され、07年(平19年)までに、その数10回に及ぶ。
※表(2)「中小商工業研究」第96号より
 「繊維ビジョン」の限界は、経済産業省(旧通産省)が、常に業界の「エクセレント企業」を探し出し、「やる気を持つ企業・経営者」中心に的を絞った支援事業を繰り返してきたことにある。審議会議等も、協力的学者やいわゆる業界の大手企業、理事長企業中心で構成し、省庁側で一方的に議事をリードしてきたことにあり、決して業界の苦悩を掬いあげたものではなかったし、業界そのものを全面的に改革しようとするものではなかったのである。
 産地全体すべてがメリットを受けるような事業はあえて避けて、総花的内容に止まったことは、日本の繊維産地にとって極めて不幸なことであった。
 「繊維ビジョン」そのものの価値を改めて問い直す必要があろう。

6. 川上・川中企業の統合

 川下の大企業である百貨店業界が、地方百貨店やそごう百貨店の破綻を契機に統合化を図ってきたことは記憶に新しい。三越・伊勢丹という信じられない企業統合の末、残された高島屋は、エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急・阪神グループ)を傘下に収め、いよいよ百貨店4強時代を迎えている。GMS(量販店)グループは、すでに3強(イオン、セブン&アイHD、ウォルマート)時代に入っている。
 これに反し、川上・川中段階はどうなっているのか。
 相変わらず7大紡・7大合繊の14グループが(その事業内容が必ずしも繊維事業とは言えないにしても)存在している。アメリカのように、事業そのものに採算性がなくなったとしても簡単には撤退はしないのが日本の川上企業の特徴である。
 繊維工業は、わが国だけの特殊事情ではなく、古くはイギリス・日本の事例に見るごとく、常に新興・後進国の産業の核としてキャッチアップの対象となってきた。しかも、有名なガーシェンクロン(米国の経済史家)の「雁行形態論」によれば、「一定の条件を持つ後進国は“後進効果”が享受できるので、先進諸国より過程省略で追いつくスピードは速くなる」のである。
 川下企業の雄たる百貨店、GMS(量販店等)が「産業資本主義」から「金融資本主義」への移行の耐えきれず、また、消費の変化を十分に読み取ることができずに、個別企業の論理だけで拡大を続け、次々破綻に追い込まれたのに対し、繊維産業の中核とも位置付けられる川上・川中企業が、その存続を問われる危機にも関わらず、何ら手を打つことなく旧態以前たる事業形態を継続し得た理由は、どこにあるのであろうか。
また、なぜ業界全体が、事業全体のあり方・仕組みに疑問を持たなかったのか不思議な気がする。
 アパレルメーカーの多くは当初の海外ライセンス・ブランド先行優位に比し、その後は、ファッション性豊かなデザイナービジネス、さらには重衣料中心から軽衣料・カジュアル衣料への流れの中で、ニット、ブラウス、パンツ・スカート等の業種別アパレルが徐々に百貨店平場から排除され、総合的にコーディネート・ブランド・ショップ提案のできる企業へと集約されていく。
 川上・川中企業群、その多くは零細過多、様々な業種・業態が、旧態依然として存続を続けてきた。そして産地を形成してきたのである。これだけの業種・業態の個別企業が果たして必要であったのか、なぜ、効率的な事業の合併・合同を行うことができなかったのかであろうか。
 多くの識者、関係者の非難をあえて覚悟すれば、責任の多くは、川上たる紡績・化合繊企業、さらには口銭取引を業とした(以前のことではあるが)大手・繊維専門商社・産元商社の存在ではないか。また、この間隙を縫って業界の複雑さを活用し、下請工賃引き下げのバッファーとして利用したアパレルメーカーにある。
 また、業種毎に細かく組織化されている工業組合、卸商業組合といった存在も川上・川中統合の足枷となったはずだ。
一時、アパレル業界において、(社)アパレル産業協会に関係団体の集約化が図られるという事態もあったが、結果的に諸々の事情から成功したとは言えないのが現実ではある。個別企業としての力のあるアパレルメーカーは別格としても、業種的に単独では存立しえない、市場を持てない企業群(じり貧に追い込まれている企業群)こそ、同業組合を起点として、会社の合併・事業合同すべきであった。
 繊研新聞によると、最近は、染色技術者が製織メーカーに転職していたり、編立にいた人が撚糸の会社に移っていたり、かなり人材が流動化しているという。ようやく、産地もその存在を維持するために「製織メーカーによる染色整理や編立メーカーの買収、染色整理の製織メーカーのグループ化など」の企業活動が活発になったという。川中も工程ごとにメーカーを分散させず、工程を集約化させていくことが、川上・川中再生の急務なのだ。
 日本の繊維産業再生を、この川中段階が背負っていることに異論を差し挟む関係者はいないはずだ。川中の事業一本化こそ、海外繊維工業に打ち勝つ条件なのだ。ここに日本繊維事業の優位性、世界に誇るノウハウが詰まっているからである。

7. 川上・川中企業の持つ競争力

ファッションに関する業界のリーダーシップは、今やアパレルのデザイナーには期待できない。
元々、ファッション創造に果たす日本の川上・川中製造業の持つノウハウは世界でも、群を抜いたものであるにもかかわらず、なぜかアパレルデザイナーの作り出すブランドのOEM程度にしか評価されてこなかった。
これが、欧米アパレルビジネスとの決定的違いだと言える。折角の世界的技術も、1アパレルのモノポリーと化し、またアパレル企業のブランド運営の不味さから、川中の優秀な技術が日の目を見ることなく葬り去られること、日常茶飯時ではなかったか。年2回春・秋に発表される百貨店向け「大手アパレル新ブランド」の顛末を見ればまさに死屍累々と表現できる。ここにも大量のムダが放置されているのだ。
ファッションの要素としては、
(1) ファブリック(風合い・機能性)
(2) 色(シーズン流行色)
(3) 柄(シーズン用途柄、糸染め、捺染)
(4) シルエット(流行スタイルなど)
 これらは、いずれも川上・川中がシーズンのトレンド予測に基づきサンプルを作り、発表してきた。
最近では、電化商品、自動車、パソコン、ケータイ等の他業界に対して、素材の一部としても大きな影響を与えているのは周知の事実である。決して、アパレル業界へのプレゼンテーションに止まるものではないはずだ。
 これからは、アパレルの1ブランドの下請(止め柄などの名目)に甘んじることなく、ファッションとしても堂々と自社オリジナルとして売り出すべきであろう。
 もちろん、自社のテキスタイル・デザイナーを養成すると共に、世界に向けての発信を今以上に強化すべきであるし、また、経産省自体もこの事業に全力を集中すべきだ。特に、人材の育成に力を入れてほしいものだ。
「新連携事業」といった生易しい手法ではなく、川上・川中事業者の事業を核とした合併・合同事業化に力を入れる必要があろう。一部の有力者による提言で、官によるチャンスが多く用意されながらも、結局、それが「やる気がある」とされる少数企業のみの発表の場であってはなるまい。狭い過去の零細・過多の業種の壁を破って、大きく統合性のある事業体へと変身させることに意味があるのである。

8.「下請法」の意味するもの

平成19年2月、政府において「成長力底上げ戦略」構想がとりまとめられ、翌日の経済財政諮問会議に報告・了承された。
この「成長力底上げ戦略」とは、経済成長を底上げするために「人材能力」、「就労機会」、「中小企業」の3つの基盤向上を図ることにある。中小企業対策としては「下請取引法等」の推進が柱となっている。この事業を円滑に推進するため、新たに「ガイドライン」を策定するとともに、「下請かけこみ寺」が47都道府県に設置されたのである。
下請法の目的は、親事業者と下請事業者の間の「適正な取引の実現」と「下請事業者の利益を保護する」ためにある。中小・零細企業者が多く、複雑多岐にわたる取引形態を残す繊維工業においては、特に下請法の対象となる取引が多いと一般に危惧される業種の一つである。
「親事業者、下請事業者の定義」と「親事業者が守らなければならない4つの義務」、および「親事業者の行ってはならない11の禁止行為」は、別表(3)の通りである。
法律の論議はさておき、「下請法」(下請代金支払遅延等防止法)の適用を受ける取引において、親事業者が最も留意すべき点は、従来ともすれば「この程度でいいんじゃないの」といった「つぶやき契約」が全くの違法であり、MD・デザイナーや発注担当者の軽い・不用意な発言に十分注意すると共に、下請事業者の担当者も、「つぶやき」で早合点せず、必ず「文書」で受け取ることが義務付けられる点である。
親事業者は、発注の都度、「発注の内容」「代金・支払期日」「支払方法」「製造を委託した製品を受領する期日・場所」「検査をする場合は検査を完了する期日」などを記載した書面(発注書面)を交付しなければならないことが定められている。
 「下請法」は、あくまで「独占禁止法」の補完法であり、下請法の「親・下請」に該当しないからといっての違法取引は、独禁法上の「優越的地位の濫用行為」によって規制されることにも留意したい。

9.「下請法」を超えて

「下請法」を通じて考えるべきことは、川上・川中の多岐・零細企業群の複雑多岐にわたる取引関係に改めて注目し、従業員の献身的努力・犠牲に頼ることなく、また、大勢がじり貧に向かいつつある業界を、残された中高年齢者だけの産業としてではなく、若年齢層にとって魅力ある職場に変えなければならないということである。
現在、繊維工業の多くは、海外研修生によって支えられているという事実から目を逸らせてはなるまい。
下請取引の実態を直視し、取引関係を対等、かつ正常の姿に戻し、日本の繊維産業(繊維を核としてのより高度化した先端技術産業へと変貌させる)を目指す契機にすべき時である。
下請法の強化・促進が法律の枠を超えて、旧来の業界の慣行を破り、わが国の川上・川中事業が日本発のファッションのレベルをより高めるための原点であることを明確に信じ、行動すべき絶好の機会と念じたい。 そのために、発注企業は「親事業者」としての認識を持つと共に、仕事を請け負う企業もまた、自企業の持つノウハウを磨き受注に誇りと自信を持って、明確に主張すべき時を迎えている。

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