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染協ニュース(日本染色協会 広報誌「染協ニュース」)投稿集

vol.270 2011 SEP
“3.11”で、すべての“ものづくりの仕組み”が変わる!

アパレル経営技術研究所
中小企業診断士 今宿 博史

1.“3.11”の衝撃

東日本大震災以来、すべての“ものづくり”の仕組みが変わるのではないかと予測する。
21世紀に入って以降、完全に日本経済は閉塞感に苛まれ、世界のホームレス・マネーに翻弄されると同時に韓国、中国を始め後進地域と言われてきた諸国の追い上げを受けて、政府・日銀の自己満足的成長戦略の推進にも関らず、その成長は鈍化から停滞、さらに下降線を辿りはじめていた。
原因の一つに、阪神・淡路大震災の影響を挙げることができる。アジア最大の荷揚げ量を誇ったハブ港神戸は、1995(平成5)年1月17日午前5時46分発生のM7.3の大地震により、一挙にその経済的存在価値を失うに至る。村山政権下の運輸大臣亀井静香の尽力で2カ月後には摩耶埠頭にてコンテナの積み下ろし再開にこぎ着けたものの、全面復旧は2年後の1997年3月まで待たなければならなかった。※図(1)参照
この震災によって、近隣アジア諸港からのトランシップ貨物は、韓国釜山港への流れを加速させることとなり、神戸港の地位は下落してしまったのである。政府としては、如何に早く復旧の可能性を全世界にアピールし、日本の経済的立場が損なわれることのないように手を打つべきであったのだ。日本外交の稚拙さが現実のものとなり、日本経済に大打撃を与えたといっても過言ではない。
この神戸・淡路大震災の教訓が、今回の東日本大震災後の日本外交において活かされたとはとても思えない。政府部内における外務省の無力さも目に余るが、菅首相その人が大震災によって惹起するであろう日本経済の国際的地位低下招来という大局観をまったく持っていなかったという事実に注目しなければなるまい。世間の批判は、いたずらに被災地を走り回る首相に集中したけれど、恐らくご本人は批判される意味そのものが理解できなかったに違いない。
多くの面で比較された神戸・淡路大震災における先人の教訓は活かされることは無かったのである。ここに、今後の日本経済の新しき悲劇が始まることが予見できる。
この事実は、震災以来3カ月余を経た今日においてもなお、何らの進展を見ていないという恐るべき真実によって証明されている。
不幸にも、わが国における大震災は村山内閣に続いて、菅内閣という無力の政権下で起こった。 

2. 傲慢を極めた原発の“人災”

福島原発の事故は、残念ながら“人災”であった。
このことをわたし達日本人は決して忘れてはならないのだ。津波が引き起こすであろうトラブルは十分に予測されていたと言われている。
事実、国会で共産党議員から繰り返し質問もされており、その都度、東京電力はもちろんのこと、経済産業省も「津波に対する対策・安全性」が、同じ内容で説明され回答されてきた。誰もが、日本が震災列島であることを忘れていたわけではなかった。それにも関らず、必要と思われた工夫や努力を遥かに上回る自然の猛威が襲いかかったのだ。これを果たして「想定外」と言い得るのかどうかは疑問だ。
当時から「原子力発電」の安全性は、何より火力発電や水力発電に勝る効率性によって優先され、今でこそ原発に対する批判は高まっているものの、当時の原発反対論者は反社会的人物とみなされる傾向が濃厚であり、テレビのコメンテーターからも外されてしまうという事実も存在した。
すべての前提が「原発は、安心・安全」であるとの妄想から出発していた。
2007(平成19)年7月16日10時13分に発生した新潟中越沖地震においては、非公式ながらも震度7強を記録した柏崎刈羽原子力発電所内で発生した火災事故の原因が3号機変圧器にあったことは、今回のトラブルの教訓とはならなかった。津波による被害ではなかったが、電気系統の制御装置に問題の発生する可能性は、当然関係者には分かっていたはずであった。
日本の原子力発電は、「米国型」であり、米国特有のハリケーンや河川の氾濫という自然災害にも十分耐えうるものとされ、そこに安心・安全神話が生まれていたものと考えられる。
戦後、奇跡の復興を成し遂げ、一時は米国をも凌ぐ巨大経済国家に成長したという傲慢さが、原子力発電においても現われたというべきであろう。日本の持つ技術力の高さは、グローバル化する世界経済の中で特筆すべき存在であり、世界経済の牽引車として揺るがぬ地位を築き上げてきたはずであった。
原子力発電所建屋の建設においては、当時の技術の粋が凝縮されていたであろう(例え、米国製であろうとも)。それだけに、問題は発電所自体の維持、運営において、マニュアル通りやっておれば間違いはないはず、との認識が東電側に色濃くあり、「変える」ことに対する恐れと、また現場の危惧からくる「カイゼン」への稟議の決裁に無用の長時間を要したのであろうことは、当然の如く予測できる。
無責任な経営姿勢は、何かあれば政府の保証の裏付があり、また消費者に対して「電力料金値上げ」という切り札を何時でも切れるという安心感にも支えられている。

3. 原発のウソ

 小出裕章氏『原発のウソ』(扶桑社新書・2011.06.01初版)は、「起きてしまった過去は変えられないが、未来はかえられる」から始まっている。
 そして、「奇妙な『楽観ムード』が広がっている」として、「2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東京電力福島第一原子力発電所を津波が襲いました。それ以来、私たちは歴史上ほとんど類のない原子力災害の中を生きています」と続きます。「私は40年間、原発の破局的な事故がいつか必ず起きると警告してきました。その私にしても、今進行中の事態は悪夢としか思えません」と、先行きを極めて憂慮されています。
 「そして問題は、原発は膨大な危険物を内包している機械であり、大きな事故が起きてしまえば破局的な被害は避けられないということです」と、その恐ろしさを詳述されていきます。
「ところが時間がたつにつれ、事故の成り行きに楽観的な見方が広がっているようです。1,3号機の原子炉建屋が吹き飛ぶショッキングな映像が流れていた頃は、多くの人が西日本や外国に逃げました」ことは、われわれの記憶に新しいところです。「ところが、報道が少なくなったこともあるのでしょうか。『何とかなりそうじゃないか』という雰囲気が漂っています」。
しかし、「安心できる材料はまだ何一つありません」と明言。その言葉を証明するように6/28日付「朝日新聞」1面トップ記事は、『循環冷却、稼働すぐ停止』「福島第一、1時間で水漏れ」が報道され、関係者の努力にも関らず、先行きに対する可能性は絶望的になっている。
小出氏は、「原子炉は本当に冷却できているのか?」と疑問を投げかけている。そして、「今後起こりうる最悪のシナリオ」が提示されているのだ。
福島原発は、もはや「“進むも地獄、引くも地獄”の膠着状態」に陥っているのだ。菅首相は、小幅な内閣改造で細野豪志氏を原発担当相に任命したが、大臣一人くらい任命しても何も変わらない、変えられないことは、もはや国民のすべてが知っていよう。細野氏を補佐すべき「現場力」のある人材は、残念ながらいないのだ。求心力も実行力もない菅政権で事態を改善できる可能性は皆無だ。
それより、原発が生み出した「死の灰」は広島原子爆弾の80万発分であり、悪化する作業員の被曝環境は、想像を絶するものがあり、首都圏も危機に曝されているのだ。

4. 電力不足がもたらす産業の危機

震災後、菅首相が下した中部電力浜岡原発の操業停止は、幾分東京電力による盛夏の電力安定供給にメドが付いたと思われ、猛暑による危機を回避できるという思惑を覆すこととなった。
企業はもちろんのこと、各家庭の「節電の徹底」意識の高まりで中部電力からの分電の期待なしに、今夏の猛暑が乗り切れるのかどうか、一抹の不安を投げかけている。とくに、原発事故後直ちに東京電力が打った「計画停電」実施という“脅し”に、ほとんどの国民は右往左往させられることとなった。この「計画停電」の意図ほど不可解、かつ国民無視の愚挙は許し難い。
電力不足の脅威は、電光石化で産業界を巻き込み、未曾有の放射能、地震・津波被害を忘れさせる勢いで日本の製造業全体に、将来に対する不安感を醸成していく。「節電、止むなし」「今夏は、スーパー・クールビズで」の言葉と共に、駅構内等公共施設に多数設置されたエレベーター、エスカレーターの休止はもちろん、多くの蛍光灯が外され、空調そのものの使用も制限されていく。こぞってマスメディアが取材に走る「盛夏対応」についての具体策も、滑稽を通り越して空空しい状況を醸し出している。
原子力発電によって可能と思われた産業の高々度な発展や、電化によって約束された快適な家庭生活、分けても地下深く走る交通機関や、超高層ビルを支えるエスカレーター、エレベーターへの影響は、まさに図りしれないものがある。日本の産業基盤そのもののすべてを振り出しに戻さなければならない事態だと言えるだろう。
とはいえ、当面は経済に与える影響を緩和すべく、家庭の電力消費量をどれだけ抑えられるかがカギを握っていることも確かな事実だ。復興に向けての、企業・家庭共に、また公共機関の節電対策も真剣に取り組まざるを得まい。わが国経済の発展はおろか、グローバル化した有力企業群の海外移転が現実味を帯びてきている。

5. マクロ経済に与えた震災の影響

東日本大震災による直接的被害状況として、東京リサーチの調査によると上場企業3625社のうち、少なくとも1135社の工場等が被害を受けたとされる。
とくに、被災地東北地区には各種の日本を代表する製造業大手工場、下請工場が多数存在していただけに、その損害は測りしれないものがあった。震災によって、その生産活動は一挙に落ち込むこととなったのである。何より、直接的な生産設備の毀損、サプライチェーンの停滞が、日本経済に及ぼした影響は甚大であった。
神戸・淡路大震災が、消費地たる神戸、大阪、京都等に及ぼした消費の激減という影響に止まったのとは異なり、まさに、日本の“ものづくり”の現場を毀損させたという点で産業の基盤そのものを消失せしめた供給面の損害は無視できるものではない。被害の特徴が、サプライチェーンの寸断に大きく現われたことだ。
たとえば、自動車は2万点、薄型テレビは1万点の部品から成り立っていると言われるが、そのため僅かなパーツの生産遅れが、製品の出荷そのものに大きな影響が出ることは周知のことである。今回の震災で改めて、これらのパーツ生産に被災地東北が大きく関係していたという事実に驚愕する向きが多かったのではないか。
東北地方には、「通信機械・同関連機器」「電子計算機・同付属機器」「電子部品」の供給工場が集中し、当然、電子部品関連産業や電子計算機等の生産に齟齬を来すこととなった。また、自動車メーカーもそのほとんどが操業中止の事態に追い込まれるに至っている。
隣接の千葉・茨城地域には、「一般機械」「産業用電気機器」「その他電気機器」「通信機器」「精密機械」等の部品メーカーが集中しており、サプライチェーン寸断による影響が甚大であったことが理解できる。
日本のマクロ経済に与えた打撃は、すさまじいものがあったのだ。

6. ファッション産業への打撃
 
 2009年において、すでに輸入浸透率「輸入量÷(国内生産量+輸入量-輸出量)」が、95.4%に達しているファッション産業の中核たる繊維産業において、今回の東日本大震災の生産面における直接的被害は少なかったというべきであろう。むしろ、問題は別のところに存在しているのだ。
 6/27日付「朝日新聞」の『大震災と経済 復興に向けて』記事において、『服製造 条件壁日本人来ず』の見出しを掲げている。「東日本大震災から1週間後の3月18日。紳士服製造の岩手サントップ大東工場(岩手県一関市)から、中国人実習生16人全員が帰国の途についた。東京電力福島第一原発事故の影響を恐れたためだ」とある。
 同工場の従業員は100人ほどで、来日2,3年目の中国人実習生たちが中核を担っていた。これは、この工場に限ったことではなく、多くの縫製業、ニット製造業の工場では当たり前の現象ではある。岩手から宮城にかけての大手、中小・零細の工場では、いずれも中国人実習生頼りでメイド・イン・ジャパンのアパレル製品が生産されているのだ。
 同記事にもあるように外国人実習生は「安い賃金で休まず」「残業、休日作業歓迎」、おまけに「若くて真面目、仕事も早い」、若いだけに、高年齢者にはできないニット縫製業特有のリンキング縫製作業にも存在は貴重だ。年配者には「糸目」が拾えない。
 紹介されている岩手サントップも含めて、多くの縫製業では、高齢の経験者を受け継ぐ技術力は中国人実習生に頼るほかないのが悲しい。どの工場も実習生がいることで、新卒の採用を行わないため、益々高齢化は進行する。特定はしないが、多くの県立高校には立派な「被服室」があり、最新式のミシンも揃っている。残念ながら、ほとんど活用されているようには見られない。
 直近でお会いした商社系の大手アパレル企業のトップのお話では、ようやく若干名が来日してくれた、とのことであったが、震災以前の水準の確保は難しいだろうとのことであった。やはり「実習生には頼らない」という決断に迫られている。※図(2)
 同記事では、実習生の受入れ機関である岩手県アパレル協同組合の千葉繁代表理事から、「絶対必要という企業は多いが、この際、日本人に切り替えようという動きも出ている」との言を引き出している。
 ただ、現状求人・求職活動を支援している立場から言わせていただければ、学生を含めてファッションに興味は持つが、あくまで「デザイナー」等の専門職志望であり、どちらかといえば消費者の立場からの興味であって、縫製工等になろうという興味は皆無といっていいのが実態だ。
 現在の縫製業者やニット製造業者が期待する実習生並の最低賃金ギリギリの給与水準、納期間際の残業、休日出勤等、旧態以前たる勤務形態では「新卒採用」はおぼつかない。結局、実習生なしでの操業維持は困難なのだ。中国人実習生が、再び日本の土を踏むかどうかは、現状では悲観的見方も多い。すべては、福島原発が及ぼす災害の終息にかかっている。
 再び、小出氏の前掲書によれば、“廃炉にしても大量に残る「負の遺産」”をどう処理できるかにかかっている。 

7. 日本発“ものづくり提言プロジェクト”発足とその背景

 筆者は、繊研新聞社の吉川新吾記者が事務局を務める「日本発ものづくり提言プロジェクト」実行委員会の活動に注目をしている。
 この活動は、2010年7月準備会事務局を立ち上げ、発起人代表にカイハラ(株)会長貝原良治氏を選出し、貞末良雄メーカーズシャツ鎌倉(株)会長ら数名によって事務局が構成されている。同年9月7日実行委員会を発足、第一回発起人会を文化学園理事長室にて開催、同11月1日アパレル工業新聞1面に意見広告を、また11月4日には繊研新聞1面に意見広告を掲載した。
 活動の趣旨は、「日本のファッションビジネスを支えてきた国内の繊維・アパレル製造業はいま、存亡の危機にたたされています。日本発のものづくりの待ったなしの危機を直視し、国内製造の存続と強化を志ある業界人が呼びかける意見広告運動を提唱します。各位のご賛同を切にお願いします」、と高々と謳い上げている。

(1)『国内生産の縮小が続いています』としての現状分析は、
「(略)テキスタイル・染色・縫製など中小企業を中心とした国内の繊維・アパレル関連製造業の倒産、廃業、事業撤退、事業所閉鎖が相次いでいます。直近の工業統計表によると、国内の繊維製造業の事業所数は97年からの10年間で45%減少、バブル期末の91年から見ると58%も減少しています。テキスタイルのうち、撚糸、織物製造、ニット生地製造業者はこの10年間でほぼ半減、染色加工は40%ほど減っています。
 布帛・ニットを合わせた“衣服”製造業の従業者数は21万5728人でピーク時(1971年)の71万6098人に比べて3分の1の水準になっています。
 縫製業ではこれまで、『外国人研修生・実習生抜きには考えられない』と言われてきましたが、外国人研修生・実習生制度が今年(2010年)7月、新たな“外国人技能実習制度”に替わったのをはじめ、厳しい受注状況(受注減、工賃ダウン、短納期、小ロットなど)、構造的な労働力不足(低位な労働条件で人は集まらない)などを考えると、すでに限界点に達している縫製企業の廃業・閉鎖は今後も増え、更なる縫製人口の減少は避けられないと見られています。
 問題は、産地の有力テキスタイル・染色企業や『残って欲しい縫製工場』などが少なからず消えて行っていることです。技術力のある国内製造業がなくなってしまうと、国内にシフトしようにも必要な工場が確保できないという事態が目の前に迫っているのです」と述べられています。
 続いて、
(2)『受注に応えられない事態も起こっている』
 これまで日本のファッション・アパレル企業が販売やマーケットを重視するあまり、ものづくりや生産に十分な利益配分をしてこなかったこと。有力アパレルメーカー自体が企画製造部隊を外部に丸投げし、小売業態化していること。また、国内生産の縮小は生産と市場のグローバル化の流れが背景にあること。そして、中国のアパレル生産に対する姿勢が、日本流アパレル生産方式を歓迎しなくなりつつあること。このままの推移では、アパレルメーカー等が「国内回帰」を指向しても生産する工場そのものがなくなってしまうこと、などが列挙されている。
 国内工場の廃業や事業所閉鎖は、後継者問題とも関連して、より深刻化していることも指摘しておきたい。
(3)『今がチャンス!市場もメイド・イン・ジャパンを求めています』
 依然として厳しいアパレル消費市場ながら、一時の極端な低価格志向から、やや「価値志向」に振れて来たとの見通しもあり、低価格の定番カジュアルやファストファッションなどのシェアはなくならないものの、今後は、海外で生産の難しい高品質・高付加価値商品に対する需要が回復するとの期待は、確かに関係者に充満している。
 これは、日本の消費者だけでなく、中国人等の海外旅行者が争って日本製アパレルを求めるという「日本品質」に対するプライドを維持したいという祈りも含まれているのではないか、と思える。
 そこにメイド・イン・ジャパンの可能性、将来性を見出していこうとの業界人の思いでもある。

8. 日本発ものづくりの実現可能性

 この意見広告は、繊研新聞の一面において、2010年11/4日に「100名」が、次いで同11/22日に「100名」の賛同者が名前を連ねている。また、2011年1/24日付で「38名」が「第三次集約分」として掲載された。
 その後は、同3/2日付で「8名」が、さらに、同4/26日付で「7名」が、『私も賛同します』として名前が掲載された。
 1口=1万円であり、個人名にカッコで会社名を入れたりすることは本人の自由意思とのことで、名前だけで「あぁ、あの人か」と分かる人もおられるが、要は現時点で253名の賛同者がいたことになる。※図(3)
 253番目に筆者も名前を連ねている。理由は、遅まきながらこの意見広告の存在を知ったことと、かねてより中小企業基盤整備機構によるニット製造業の自立化支援事業に携わり、及ばずながらアパレル企業が見放したニット製造業自身による再生の可能性に尽力してきたとの自負からである。もちろん、ニット製造業や縫製業自身のアパレル企業頼りは、批判されるべき点も多々あろうが、日本の繊維製造業自体が持つ創業以来の伝統文化ともいうべきビジネスモデルに由来していることも考慮に入れなければなるまい。
 江戸時代以来、問屋制家内工業が根底にあって、販売から注文数量に至るまで、また素材(糸・テキスタイル)や副素資材の調達、サイズ・カラーの決定、すべては、問屋が主導権を握って来たのだ。問屋(後に、アパレルメーカーと言われる)は、つねにコスト(生産原価)優先でビジネスを動かす宿命を負っており、また、百貨店やGMSとの取引を優先させてきたことは、もはや周知の事実だ。したがって、つねにコストの安い地域を生産地とすべく投資を重ねて来たのであり、わが国の有力産地すら弊履のごとく捨て去ってきた。
 問屋業(アパレル)にとっては、今は「チャイナ+ワン」が、最大の課題であり、経営者が、気持としては「日本発ものづくり」に賛同しても企業としてのビジネスモデルに組み込むことは容易ではないのが実情だ。“ものづくり”においては、ユニクロを始めとする世界企業が、すでにアパレルメーカーの主導権を凌駕するに至り、日本発ものづくり提言プロジェクトにも、深刻な影を落としていることを自覚しなくてはなるまい。

9. 3.11を契機として小規模化・分散化・地域化に向かう

 ニット製造業や縫製業が、もはや昔日の“ものづくり”企業として再生し得ることはあり得ないと断言する。
 グローバル経済の下で、大量生産型アパレル商品が素材(原糸・テキスタイル等)や関連事業を含めて、海外の経済的後進国に移行していくことは歴史の必然として止めることなど不可能だ。まして、ユニクロ、H&M、GAP、ZARA等の世界的企業が擁する生産の仕組み、インフラ、ノウハウには、今更どのアパレル企業であろうと勝ち目はない。可能性があるとすれば、彼ら企業の自壊を待つしかあるまい。
 日本のファッション・アパレル産業における“ものづくり”においては、今後「小規模化」「分散化」、そして「地域化」がキーワードとなろう。
その中でも、もっとも可能性の高いアパレル商品の付加価値化は、『染色・加工』の分野であろうと考えられる。染色の技術は、極めて限定的であり、また地域に根付いた強さを保持している世界だ。その地域ならではの独特の優位性・差異性を持っている技術なのだ。
 生地は、いずれも織ったり編んだりした上で、いずれの場合も用途に応じて染め分けられる。これに仕上げ加工を施し、美的価値と機能性を備えることでアパレルとして評価され、付加価値がより一層高められることになる。染めの技術は、わが国の各地域独特の特徴が発揮できる分野であり、むしろ少量生産に適した技術が存分に発揮できることとなる。
 もちろん、素材の高度化は化学繊維の発達で著しく多様化しているものの、染料の種類も多岐を極め、染色方法、および加工方法とも高度化を余儀なくされている。長繊維染色の大手メーカーの中には、その技術の高さから世界のトップブランドに位置付けられているが、むしろ中小・零細企業にも技術力が高く、アイデアに溢れた染色加工工場が数多く存在している。
 そして、その幾つかの企業は、中小・零細規模なるが故に事業承継の可否によって、消滅してしまう恐れもなしとしない。今こそ、染色・加工技術の多くを、わが国の繊維・ファッション産業の存続の中核として確立しておく必要性を痛感している。

10. 必ず日本の繊維産業は復活する

 21世紀は「デフレの世紀」といわれ、ファッション・アパレルは急激な価格低下で多くの技術力を真面目に継承しようとした企業の多くを消滅させてきた。グローバル経済の進展も避けることができず、またIT技術も“道半ば”であり、今後の変化はまだまだ測りしれないものがある。
 現状を直視し、IT技術も避けることなく、また経済のグローバル化もポジティブに捉え、活用することで新生の「21世紀型」ファッション企業が誕生し得る可能性は無限である。
 他分野から回帰してきた二世〜四世の世代や、新たに創業・起業を志す人たちが生み出す新商品を多くの展示会場や、小規模な合同展で見ることができる。心強い限りである。
 目先の華やかさに惑わされることなく地道に製品改良にこだわり、新しい価値を生み出す続ける染色加工を軸とした繊維製造関連企業の発展に期待したい。

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