今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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染協ニュース(日本染色協会 広報誌「染協ニュース」)投稿集

vol.261 2010 DEC
“単品ものづくり”から“仕組みとしてのものづくり”体制へ

(社)中小企業診断協会東京支部
中小企業診断士 今宿 博史

1. フォーエバー21、銀座に出店

ファッションビジネス業界は、つねに他業界に先駆けて変化を繰り返す。
ある意味では、もっとも速くIT革命の洗礼を受け、海外低賃金労働力を求めて国内産地が持つ優秀な技術を惜しげもなく企業利益確保のために海外に移転させてしまった。国内産地復興には、今後100年以上の歳月をかけても取り返すことはできまいし、その必要性は失せてしまった。
ファッションビジネス業界は、糸からテキスタイル、関連する製品事業、そして小売り段階にいたるまで、全段階がグローバル化してしまっているのだ。
僅かに国内に残されたニッチ市場、海外に渡らなかった好運な人材・技術力を駆使して、日本にしかできないと思われる商品を丁寧に発掘、ビジネス化していく道しか残されてはいないのだ。
4月29日、松坂屋銀座店に米フォーエバー21がオープンした。1〜5階部分の約3000平方メートルを占めるアジア向けの旗艦店であり、メンズ、レディスのほか、日本発のキッズを含むフルライン構成。低価格の衣料、雑貨を扱う典型的なファストファッション企業である。世界的ファストファッション企業としての評価は、H&MやZARA等からは劣ると言われるが、強大な力を秘めていることに変わりはない。
 フォーエバー21は、今後、日本および欧州市場への出店を加速するとみられる。年内にイギリス、オーストリア、アイルランドに出店が決まっており、日本でも年10店舗規模が計画されており、「日本での配送倉庫拡張で、今後50店まで拡大可能の物流機能を完成させている」と報道されている。
 日本では、昨09年4月に原宿1号店(1.75平米)をオープンさせており、公称「1日当たりの来客数1万5000〜2万人」と予想を上回る盛況ぶり(推定年商100億円)。同店の年間売上高は公表されていないものの「1人当たりの購買単価では、世界でもトップクラス」と評価している(フォーエバー21は、未上場)。
 年内(10年中)には、すでに2店(新宿丸井・船橋ららぽーと)の出店が予定されており、さらに、横浜地区の1号店を加えて、首都圏における5店舗体制を構築するとみられる。また、11年度中には、さらに10店舗を出し、「最終的には100店舗体制が可能」と見られている。
 フォーエバー21は、現在米国を中心にカナダ、中国、韓国、アジア、中東で直営、FC合わせて480店舗を展開、09年度の売上高2070億円、10年度は、2880億円まで拡大させる見込みという(「繊研新聞」記事より)。

2. 海外ファストファッションの優位

海外ファストファッション企業としては、日本では先発の、H&M(スウェーデン)が、すでに銀座、原宿等6店舗を出店させており、続けて心斎橋、武蔵村山(イオンモール)へと出店を加速させている。
 “H&M、日本上陸!”と日本ファッション市場を震撼させた銀座店(1千平米)、原宿店(1.5千平米)には、どちらも圧倒的話題性に満ち、開店時に連日長蛇の列ができたことは記憶に新しいところである。
銀座・原宿両店合わせての売上高は、09年度上半期(08年12月〜09年5月)119.6億円ペースを記録、予想を上回る衝撃を日本市場に与えた。それが、09年度第3四半期(6〜8月)の動きは、年間ペースで85.5億円程度に急減速、多店舗化の影響もあって、1店舗40〜60億円が妥当なところではないか、との観測も流れている。
 日本では先発のインディテックス社(ZARA)が、上陸後11年で47店舗を展開して、年商300億円に届いていないことと比較すると、H&Mは、10年度中にもその出店ペースから見て、400億円規模の売上高に達するのではないかと予測される。フォーエバー21との三つ巴の激戦が、ここ当分、日本のファッション市場全体をリードしていくことは間違いあるまい。
 ファッションの世界でもトップクラスに位置づけられる成熟した消費者を持つ日本市場において、なぜここまで海外ファストファッションが支持されるのか、その背景を数多ある大手日本のファッション企業が、十分に分析し、海外企業の持つ弱点を克服するシステムを構築しない限り、生き残りは不可能と考えざるを得まい。
海外ファストファッション企業の必勝条件が、
(1)「圧倒的安さ」
(2)「シーズンにマッチした鮮度」
(3)「フォローのスピード性」
(4)「品質や完成度」にこだわらない
にあることは、容易に頷ける。
 品質や完成度にこだわる百貨店の衰退と裏返しの関係にあるとも言えよう。

3. ボリュームゾーン化する消費

 海外ファッストファッションが、爆発的に、なぜここまで支持されるのか。このことと世界全体の消費が中産階級化し始めたことと決して無縁ではあるまい。 
日本を含めた先進国では、消費の成熟化にともない商品の高機能化、高付加価値化が求められるようになり、余分とも考えられる機能を従来の商品に付加させる戦略を目指してきた。
高付加価値=高価格であることが販売強化の条件であるかのような環境を、消費者は期待していたのである。
ファッションの世界では、百貨店価格の上をいく、いわゆる“ラグジュアリー”ブランドを持つことが、一つのステイタスであり、中・高校生ですら“ヴィトン”の財布を持つことが不思議な光景ではなくなっていたのだ。
一方“ボリュームゾーン”とは、発展途上国において急速に拡大する中産階級が形成する大衆消費市場であり、商品はシンプルに、そして何より低価格を実現すべく、余計な機能、付加価値を削ぎ落とすことが求められるマーケットである。
ファッストファッションとは、トレンドデザインに特化した商品であり、そのために品質にこだわらず、生産も低賃金、かつ流通過程を徹底的に圧縮して、鮮度とスピード・デリバリーを実現したビジネスモデルである。
日本における“ボリュームゾーン”化現象の蔓延化は、グローバル化による日本経済の衰退と、いわゆる雇用の不安定化に起因する下層社会の拡大、アナログ文化に触れることなく育った若者達の“これでいい消費”(堤清二・三浦展共著『無印ニッポン』中公新書)の感性が一般化してきたことと無縁ではあるまい。
マーケットのグローバル化によって、今後ますます先進国と途上国との消費の平準化が進行していくことは避けられまいし、まして日本だけが例外であり得るはずはないのである。このことは、冷戦終了後から新世紀にかけて起こった市場経済圏拡大の影響が多いに関係している。 
ボリュームゾーンこそファッションビジネスのみならず、どの業界にとってもアジア戦略の核となるターゲットとして位置づけられる。今日のアジアは、急速な経済成長に伴って、年間可処分所得45万円から315万円の層が急増し、この層の購買力に企業の期待が集中している。いわゆるボリュームゾーン、その数は8億8千万人と、日本の人口の8倍に達する規模であり、今後もこの層の拡大が見込まれている。

4. 市場経済圏人口の“爆発“続く
  〜21世紀は“デフレ”の100年

1991年に冷戦が終結し、東側と第三国の多くの国々が市場経済に移行してきたことで、日本の経済構造は大きく変わらざるを得ない状況に追い込まれた。生産から消費までのすべての過程を日本国内だけで考え、システム化すればいい時代ではなくなったのだ。
 いわゆる冷戦時代における自由世界の市場経済圏は、西側先進国を中心とした僅か39カ国、具体的には、OECD加盟国、アジアNIES、ASEAN、ブラジル、メキシコなどの中南米諸国のみであり、輸出入についても基本的にはこの範囲で考えればよかったのだ。これら39カ国の合計人口は、15.7億人、90年時点での名目GDPの経済規模は18.8兆ドルであった。
 それが、11年後の2001年になると、ロシア、中国、インドなどの国々が市場経済化し、西側先進国と一つで結ばれることとなった。そのため、市場経済体制国家の人口は、2.93倍の45.9億人を数え、経済規模は29.4兆ドルに拡大してしまった。
人口の増加が顕著であり、人類史上例のない規模での「人口爆発」となった。
なんと90年初から2001年の市場経済圏の人口は、年平均10.3%の増加となったのである。人口が非連続的に増えるということは、当然のことながら、需要と供給に非常なアンバランスが生じることになる。
もはや古典派経済学の想定外の事態であり、ケインズ経済学的な考え方でも説明し切れないことが、共産圏諸国の崩壊と第三世界といわれた発展途上諸国の参入、加えて先進諸国のIT(情報革命)によるグローバリゼーションの進展によって生じたことになる。
 そして、何より市場経済圏の拡大とグローバル化の成果は、賃金の「下方柔軟性」をもたらした。この事実は、労働者の生活を守れる賃金水準を維持した上でのコスト管理で利益を挙げるという従来型企業経営方程式を崩壊せしめることを意味する。
企業は、既存の市場経済圏では考えられない低賃金労働力を、無限に手に入れることが可能となったのである。賃金の止めどない下方化によって、低コストによる商品の大量生産がシステム化され、インフラの整備とともに多少の品質ダウンと引き換えに、ファッションに必須のスピードアップがもたらされることとなった。
海外ファストファッション企業が、これら多くの発展途上国の労働力をフルに活用していることは想像に難くない。
同時に、生産基地としてのみでなく、いわゆる発展途上国における中産階級の“ボリュームゾーン”商品の基幹消費地として、多くの店舗を展開できる可能性を生み出したのである。

5. 需給関係のアンバランス拡大

人口の増加は、先行して商品の供給能力を著しく高めることとなり、その規模は先進諸国の需要増を圧倒的に上回ることとなった。加えて、これらの国々は、その後進性ゆえに先進諸国に比して賃金水準が著しく低いことから、製品そのものの「低価格化」を招来することとなった。
91年のソ連解体から01年までに、旧東欧圏と第三世界から、低労賃の27.9億人が新規労働力として市場に参入してきた。一方で、この間の西側労働人口は、15.7億人が18.0億人へと1.15倍増加していたのである。
ここに、新たな賃金格差が生じる事態を生み、先進国側には失業率高騰が常態化するという社会問題の深刻化を結果する。
 いずれにしても、90年当時の人口15.7億人が、01年には、45.9億人へと一気に増加してしまったのである。すなわち、市場統合後の就労可能の労働者は、2.55倍へと膨れ上がったことになる。
 水野和夫氏(三菱UFJ証券参与・チーフエコノミスト)の試算によれば、この間の西側先進国の技術革新による潜在的な生産能力増をも加味すると、実態としての世界の生産能力は、実に、2.75倍に達したことになる。
「潜在的な生産能力が2.75倍に増加したということは、大きな意味を持つ。もし、世界経済が今後も90年代と同じペースで(3.6%)で成長すると仮定すれば、2000年時点の生産能力は、33年先の需要まで織り込んでしまったことになる。(略)現時点で2.75倍に広がった需給ギャップは半永久的に埋まらないだろう。(略)2.75倍の潜在的な需給ギャップは99年後にようやく均衡する。」(水野氏著『100年バブル』03年・日本経済新聞社刊より)。
水野氏は、同書で「17世紀には、デフレが収束するのに150年かかったが、21世紀のデフレも100年単位のデフレとなりそう」と予測されている。
筆者自身、さる有力なテキスタイル企業の社長にインタビューさせていただいたことがあった。
それは、最近の中国における人件費の高騰ぶりを話題とした時であった。このままでは「従来のようにはいきませんね」と問いかけたのに対し、「中国は、まだ奥地が無尽蔵にありますわ」、しかし、インフラの整備が進まず、港まで商品を運ぶことが困難ですね。「中国だけにこだわっていませんよ。ベトナムもありますし、カンボジア、インド、バングラデシュも手を打ってます」、さらに「今後は、南米や東欧圏、アフリカもありますわ」、50年は心配ないですね。
グローバリゼーションとは、また、ITの進化は、地球全体の人達を中流階級化させ、消費を平準化させていくことにつながっていく。

6.国内生産にこだわったアパレル

日本の国産信仰の傾向は、特に海外ライセンス・ブランドにとっては必須のものであったし、大手アパレルのオリジナルブランドであろうとも、百貨店で展開する以上、まず「海外生産ではない」ことが、暗黙の条件でもあった。
大事なことは国内生産であることが、そのブランドの品質の高さを証明していたともいえ、国内生産が、百貨店におけるブランド商品の小売価格の高さを消費者に納得させる要因の大きな部分を占めていたと言えるだろう。
 たとえ、本元のライセンサーが生産した商品であっても、中国製やフィリッピン製などといえば、日本国内では、必ず敬遠されたものだ。
 1985年のプラザ合意以来、円高ドル安誘導が行われ、日本人の海外渡航が増加し、欧州からハワイやアメリカ西海岸でのバカンスが増えるにつれて、現地で購入するブランド品(ライセンス商品ではない)と、日本国内で購入するライセンス商品(同じブランドだが)との価格差、ファッションセンス、カラー遣い等の違いに多くの日本人が気付くようになる。
現地のライセンサー商品には、過去の日本人消費者がこだわったサイズの問題や染色堅牢度の甘さ、仕上げ加工のレベル感、カット商品などに多く見られる生地の斜行等にも「海外製だから」許せる、といった意識が芽生えてきたのであろう。衣料品に対する意識も「ハレ」と「ケ」の差がなくなり、同じ商品を大事に長く着用しようという意識も薄れ始めていく。
この消費者の意識の変化に百貨店やアパレルメーカーが気付かなかったわけではないが、国産信仰の意識は、なお抜き難いものとして、今現在でも、残っているといえるだろう。今後も「国内生産」を旗印にしたブランド開発が、百貨店やGMSで続けられるだろうが、世界の潮流をしっかり見据えた上で、計画を立て、実行していく必要があろう。
グローバリゼーションの波は、こういった従来型の感傷的ビジネスは一顧だにしない。たとえ、衣料消費が回復することがあったとしても、もはや「リーマン・ショック」とファストファッション、それにネットやケータイ活用による販売手段の広域化以前に後戻りすることはあるまい。
今後、大手アパレルも海外での生産基地を拡大するだけでなく、積極的に販路拡大を企図している。とくに、中国への進出については、必ず果たさなければならない使命となろう。その際の課題は、やはり、増大する中産階級向けに支持されるボリュームゾーンへの参入となるはずだ。
ボリュームゾーンに対する考え方について、パナソニック社長の大坪文雄氏は、「基本的な考えは、ボリュームゾーンを“安物”という言い方はしない」、「新興国で一番求めている商品を探し出し、従来にない発想で設計し、最小限のロジスティック・コストで作る。ロスのない設計をし、スペックを切り、パートナーとの新しい連携」が重要であると述べている。
大手アパレルメーカーが心して取り組むべき教訓と言えるだろう。

7.“ユニクロ栄えて国滅ぶ”

浜 矩子氏(同志社大学教授)による昨年(09年)の『文藝春秋』10月号に掲載された「ユニクロ栄えて国滅ぶ」の一文は大きな反響を呼んだ。
 この前年(08年)、米国に端を発した金融恐慌は、当初、サブプライムローン問題という米国民の低所得者層向け住宅ローンの焦げ付きという、極めて限定された金融問題であると認識されていた。そのため、この問題が日本のみならず、全世界を巻き込む“大恐慌の予兆”にまで発展していくだろうなんてことは、とくに、日本の施政者にすら意識されていなかった。
 しかし、同年9月15日の米国大手投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が破綻するに及んで様相は一変する。世界中で株式市場から投資資金を引き揚げる動きが加速、どのマーケットも軒並み株価下落が続くこととなり、世界中の投資機関は低金利で調達していた日本の資金返済のために、円が買われ、一気に円高に転じることとなる。
 いわゆる「リーマン・ショック」は、米国が目論んだ「金融資本帝国主義」の崩壊の序曲であったことは、今や周知の事実となっている。
 「リーマン・ショック」によるグローバル恐慌の影響は、日本では「安売り競争」となって表面化する。
ジーンズに象徴される低価格化競争は、間違いなくユニクロの990円(09年3月)に始まる。その後、イオンの880円、西友の850円、さらにドンキホーテ690円へと続く。先行きが見えないだけに、安いものを求める消費者とコストを切り詰めてでも他社より安く商品を提供し、売上げの確保を図りたい企業。浜教授の指摘通り、この傾向に歯止めはかかってはいない。
 09年は、全国消費者物価指数の下落、過激な安売り競争がもたらす派遣切り、下請切り、正社員の賃金切り下げ、ボーナスカット、そして、失業率の上昇、内定取り消し等、いずれもが、単なる経済問題から社会的な問題へと波及していく。価格破壊が、企業を、雇用を破壊し、そして家庭をも破壊してしまう。
 どこまでの関連性があるのかは推定の域を出ないものの、自殺者多発という不可思議な事態も生じている。
 浜教授の論理はこうだ。
「自分さえ生き残ればいい、自分さえ勝ち残ればいい。安売り競争の背後にあるこの行動原理を私は『自分さえよければ病』と呼んでいる。この病の特徴は、自分にとっていちばん利益が上がるように行動しているつもりが、社会全体では不利益を生み、結局自分自身も貧しくなってしまうことだ。つまり、剥き出しの自己利益追求の果てに待っているのは、共食い・共倒れの世界にほかならない。この現象を『合成の誤謬』という」と述べられている。
 浜教授の『文藝春秋』の指摘は、ユニクロそのものに対する批判ではなく、むしろ、日本の政治に欠落していた「戦後の日本経済が直面したことのない未曾有の国難である」との認識不足への“八つ当たり”とも思われ興味深いものがある。

8. ユニクロ、中国に1000店計画

ユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井正会長兼社長が、上海で記者会見し、2020年までに中国での店舗を1000店とし、中国での売上高1兆円を目指すと述べている(『朝日新聞』2010年5/14日付)。
同記事によると、「中国は、発展途上国から世界最大の成長センターになった」と述べており、これまでの生産拠点から大規模な消費地に変わりつつあることを強調し、中国の成長性に期待を寄せている。
 同社は、すでに2020年までに連結ベースで売上高5兆円構想を掲げているが、現在、日本での店舗数は800店であるのに対し、中国での店舗数は、64店舗(ホンコン含む)。これを10年中に30店舗増加させ、さらに11、12年には60〜70店舗規模で、そして、13年以降は、年約100店舗ベースで1000店構想を実現するとしている。
旗艦店として、ニューヨーク、パリ、ロンドンに次ぐ、4店目として、この15日に、世界の有名ブランドが集中している上海の南京西路に、ユニクロとしては世界最大の広さ(延べ床面積約3300平米)を誇る「グローバル旗艦店」をオープンさせるとしている。
まさに、ユニクロは、“ボリュームゾーン”を志向した商品であり、世界のグローバル化の潮流を最も早く商品化して、消費の成熟化・飽和化で今後は、高機能・高付加価値化が望まれると予測した日本のアパレルや流通業界の、もう一歩先を見据えた商品を開発した先駆型企業であると評価することもできよう。
ユニクロの凄さは、単に低価格にのみ特徴があると見ることには誤りであり、低価格で提供できる企業基盤(生産から小売まで)を構築したことにある。ビジネスモデルとしてのユニクロ型企業が、必然的に20世紀型業界の延長線上での発展を否定したに過ぎないのである。
その意味では、「ユニクロ=デフレ仕掛け人」との浜教授の指摘は当たらない。

9.“仕組みとしてのものづくり”体制
  〜グローバル化の世界の中で

主力ブランドは「国産」で、とは根強い百貨店顧客の願いでもあり、衰退著しい日本の繊維産業の中でなお、その再興を願う経済産業省および繊維業界の悲願も消えてしまったわけではない。
一時は、日本の繊維産業を担った多くの人材が、中国に渡って、現地での人材育成や数々の生産ノウハウを伝授・承継してきたことも事実である。「あの人、最近顔を見ないね」と聞けば、大概は「ああ、あの人ね、中国のどこそこで活躍しているよ」との返事が返ってきたものだ。
しかし、それも一段落、今は年齢のせいもあろうし、中国の製品レベルも高まりつつあるところから、日本に帰ってくる人も増えている。
衰退した産地に残る日本固有の機械や技術を使って、日本製ならではの製品づくりを若い世代に残しておきたいとの動きも極めて活発化している。また、過去を知らない若い人材が、新しい産業として繊維業界を捉え、地域や自社に残る伝統を活かすべく、政府や既存企業に頼ることなくお互いが連携することで、新しい時代を拓こうとの機運も盛り上がりつつある。
例えば、江戸時代から大正時代にかけて盛んだった埼玉県行田市の「藍染」の伝統を身近に感じてもらおうとする体験工房「牧禎舎」(行田市忍1丁目)が、NPO法人「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」によって開館されることが、朝日新聞10年5/10付埼玉版で紹介されている。行田市は「足袋」の有力産地として、また、戦後は多くの被服工場があり、隆盛を極めたところだ。
こういった事例は、恐らく日本各地に散在することは、良く知られている。
丹念に、残存する技術・設備等を全国くまなく調査し、観光資源のみに止めることなくビジネスとして再生・復興させていくことは、まさに今実行・実現すべき時にきている。こういった事業は、経済産業省下の独法やNPO等に期待されることが多いが、それでは成功の確率は低い。
支援、という意味からは、政府やNPO法人、中小企業診断士等からの金融機関への橋渡しなどが必要ながら、やはり現地の志を抱く人達の強い意思のネットワークでなくてはなるまい。技術力だけでは、事業とはならないのだ。

 日本という狭い世界の中で、中小・零細企業が自社のために僅かな分け前を求めてせめぎ合う、そんなコップの中の戦いの時代は終わった。
 有力アパレルメーカーといえども、1社のみでの成長は限られたものがあり、せいぜい売上高で2千億位が限度であろう。グローバル化の時代において、いくら「売れる商品」を持ったとしても、単品ビジネスでは戦える時代ではない。「単独では生き残れない」この事実を直視し、「いいものさえ作れば」との単品信仰から脱却し、繊維産業の基盤をより巨大化し、世界の“ボリュームゾーン”ビジネスを可能とする仕組みづくり体制を構築しなければなるまい。
 百貨店業界に一歩遅れながらも、大手アパレル企業間における統合化も必要だ。

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