今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の筆舌剛健
No.7
「問屋街の革新は“ありがとう!”
感謝の心から生まれるものである」
(問屋連盟通信 2011年12月20日より)
問屋連盟通信 - 筆舌剛健“ありがとう”には、無限の可能性がある

◆“ありがとう”ーいきものがかり
 水野良樹さん作詞・作曲のヒットソングから。

“ありがとう”と伝えたくて あなたを見つめるけど 繋がれた右手は 誰よりも優しく ほら この声を受けとめている
 まぶしい朝に 苦笑いしてさ あなたが窓を開ける 舞い込んだ未来が 始まりを教えて またいつもの街に出かけるよ でこぼこなまま 積み上げてきた ふたりの淡い日々は こぼれたひかりを 大事にあつめて いま輝いているんだ “あなたの夢”がいつからか “ふたりの夢”に変わっていた 今日だって いつか 大切な 瞬間(おもいで) あおぞらも 泣き空も 晴れわたるように
 “ありがとう”と伝えたくて あなたを見つめるけど 繋がれた右手が まっすぐな想いを 不器用に伝えている いつまでも ただ いつまでも あなたと笑っていたいから 信じたこの道を 確かめていくように 今 ゆっくりと 歩いていこう

NHKテレビ朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の主題歌としてよく知られた作品だ。
 歌詞の言葉の重さに思わず涙してしまいそうな感じになるのは筆者のみではあるまい。
 感謝の意を込めた“ありがとう”ーーこの言葉の持つ意味に、人間としての生きる価値があるのだ。“ありがとう”の一言が、二人の幸せを増幅させていく可能性を無限に秘めている。

◆売り手VS買い手の“ふたりの夢”実る
 何気なく、「ありがとう」という言葉がこの街には飛び交っているはずだ。だから“買い手”である小売店さんは、仕入先としてこの街(企業)をいつまでも指定して、電車に乗って来てくださる。
 “売り手”であるこの街の企業もまた、明日を信じて営業が続けられることになる。それを担保するものは、「ありがとう」と「笑顔」ではないか。この二つがなければ、あるいはなくなってしまえば、この街の社会的使命は無くなることになる。
 “買い手”である小売店さんも実は、「ありがとう」と伝えたい気持が溢れているのではないか、と信じたい。“あなたの夢”が、いつの間にか“ふたりの夢”に変わって来たように。
 そして、信じ合ってきた“ふたりの夢”は、いつまでも大事にしていきたいとお互いが努力し、工夫を凝らすことでつながっていくことになる。この道は必ずしも平坦ではなかった。ふたりを取り巻く環境の変化で、お互いがお互いを疑い、また傷つけあってきたのかも知れない。浮気をしたこともあったろう、けれどやはり、私を信じてきてくれたあなたを裏切ることはできない。
 なぜなら、私の夢を実現させてくれるだけの商品をいつも用意して待っていてくれるあなたがいるからだ。
 “ありがとう”の続く限りふたりが目指す夢に向かって「信じたこの道を、ゆっくりと歩いていける」のだ。つながりは深まることになる。
 もはや、急ぐ必要の無い時代が待っているからだ。

◆“ありがとう”は口ではなく“心”で言うもの
 わざとらしさの漂う“ありがとうございます”ほど空疎なものは世の中にはない。この空気をもっとも感じるのは、街を訪れる小売店さんであり、また直接的には消費者だ。「人が嫌がることを敢えて言う」ところに人間の性があるのかもしれない。
 心からの「ありがとう」は、ふたりが見つめ合って言葉を交わすことだ。目を見ない儀礼的挨拶ほど人を傷つけるものはあるまい。自然と口から出る「ありがとう」こそが、お客さんの心を捉えるのだ。その意味で、「ありがとう」というタイミングは難しい。言った人の表情や雰囲気、声の感じは瞬時に相手に伝わるものだからだ。
 「ありがとう」は、マニュアル化された一部の業界用語ではなく、この街にあっては、伝統の重みを感じさせるものであって欲しいと念じたい。まさに、「感謝の意」を表す、この街ならではの趣を帯びたものにしたいものだ。
 信じてお見えになるお客さんに満足を提供してこそ、「ありがとう」は自然に発せられるものとなるはずだ。


成熟経済が求める日本のGNH「国民総幸福度」とは何か

◆知られざる国ブータン
世界でも最も親日度が高いと目されるブータン王国。そのブータン国王ワンチュク陛下夫妻が、新婚旅行先として日本を選ばれ、来日されたことによって、あまりにも日本人には知られていないブータン国が、一躍脚光を浴びた。
 なるほど、年末恒例の〓年度「流行語大賞」にはノミネートされることはなかったものの、大賞受賞の「なでしこジャパン」に勝るとも劣らない爽やかな衝撃がブータン国王夫妻の来日にはあった。
 国王夫妻の来日で、日本全体を震撼させた東日本大震災、いわゆる3・〓に際し、義捐金のみならずブータン一国を挙げて震災の犠牲者に対して心からの喪に服された事実が日本国民に明らかにされた。このことは、大半のメディアですら報じてはいなかったのだ。
 日本国民自体、今の国情においては「喪に服す」ということの意味すら分からない世代が多く、ブータン国に対して感謝の念を持った人々は極少数に止まると思われる。
今は見る影もないが、江戸時代末期から明治の初めにおいて、多くの西洋人を驚愕させた「礼を重んじる日本人の矜持」の高さが、ブータン国においては厳然として存在しているのだ。
 まさに、ブータン国の存在自体が、21世紀における驚異そのものと言えるだろう。

◆注目すべき国民総幸福度GNH指数の向上
 ブータン国といえばGNH(国民総幸福度)で評価される国家として著名だ。物質的豊かさだけでなく、精神的豊かさも尺度に入れた「幸福度」を表す考え方である。
 ジグミ・シンゲ・ワンチュクブータン前国王が、GNP(国民総生産)に代わる概念として導入され、現政権もこのGNHの増大を国の開発政策の根幹に据えている。筆者が、このGNHに注目する理由は、日本そのものが今やGNPを中心とした成長経済の時代から、明らかに成熟経済の時代に達してしまっていることと大いに関係がある。
 ブータン国が目指しているGNHの4本柱は、
(1)健全な経済発展と開発
(2)文化の保護と振興
(3)環境の保全と持続的な利用
(4)よい統治((1)民主的選挙の実施 (2)地方分権の推進)
から成っている。
 ブータン国は成熟した社会を実現するために、明治政府が求めた「坂の上の雲」(司馬遼太郎)とは、別の理想国家づくりを目指しているのだ。
 そして、このブータン国の政策4本柱こそ、この問屋街の行く末を考える上でのビジョンとして最適の思想ではないかと確信する。


問屋街に“大義”はあるのか?

◆商売とは“義で立つ”か“損得の問題”か?
この問屋街で学んだ中小企業診断士の一人から「商売ってなんですか」との質問を受けた。筆者は、ほとんどオウム返しに「そりゃ、損得よ」と即答した。
 損得なくして商売は成り立たない、最もシンプルな考え方こそ「損か、得か」で判断することに他ならない。余計な詮索は無用だ。経営者の一瞬の判断は、損か得か、で決定しなければならないのだ。
 なぜなら、〈商売人は得な方が好きであり、得の積み重ねで事業は継続する〉〈損するより得する方がいいに決まっているではないか〉。
 だが、相手は納得しない。損得だけでは事業は成り立ちませんよ! と頑強に言い張る。商売は〈義あればこそ〉継続していくのです、と主張して止まない。ここまできて筆者もようやく教え子の言い分が理解できた。
 その通り、「義なくば立たず」、また「信なくば立たず」が商売の王道でなければならない。
江戸時代、その行動力で日本全国にその名を馳せた“近江商人”型商法『三方良し』の根幹には、「信」「義」があったのであり、今なお、この『三方良し』の思想はマーケティングそのものとの評価を受けている。

◆問屋街の大義とは?
 大義なくして、問屋街が社会的に存在する意味はない。問屋街では、小売店さんとの間でお互いに「ありがとう」の感謝の心が通い合っているからこそ、その存在が許されているのだ。この事実は厳粛に受け止めねばなるまい。
 損得を超えた、信・義の存在は、明らかに認められている。
 しかし、信・義だけではお互いの「ありがとう」は成り立つまい。商店街衰退という苛酷な現実に立ち向かう小売店さんといえども、まだまだ打つ手はあるはずだし、それを支援する問屋街にも、損得を超えた信・義のために期待に応える義務があるはずだ。
 問屋街の大義は、流通の一拠点であると同時に、常に、お客さんの期待に応える「ときめきロード」化を果たすことなのだ。「品質が良く、安い」時代から、「品質が良く、楽しい」街。そのための、商品の開発が期待されているのだ。

◆時代を先駆けるデザイナーとの連携
 商売(損得)にはこだわらない草莽のデザイナーと、百戦錬磨で損得に長けた問屋街経営者のコラボレーションこそ、明日の問屋街を創造する資格と断じたい。
 この両者の間に「ありがとう、感謝!」の念が成り立つかどうか、お互いの立場に固執せず共創の関係を粘り強く築いていかなければなるまい。
(経営支援アドバイザー)
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