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宿屋四郎兵衛
「辛口ワンポイント」
(2003.9.1〜2005.4.20)
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辛口新春号スペシャル04年
コミュニティビジネスの時代 |
愛しき日々
こんなに衣料品が、安く大量に出回るようになったのはいつからだろう。メイド・イン・ジャパンでないと日本の消費者が買ってくれない、という時代がつい直近まであったように思う。メイド・イン・ホンコンまでは何とか、だが原産地が他のアジアの地域・国では、百貨店で扱って貰えない。
欧米の商品だって直輸入ものは、サイズが合わない、色落ちする、仕上げが悪い、始末が雑、が通り相場。うっかり輸入して販売しようものなら「不良品」の札付きで返品される。消費者のクレームもきつかった。ライセンス・ブランドが全盛を極めたのも、日本の消費者には本家のブランド品を安心して販売できなかったのがそもそもの始まりか。
並行輸入が話題となり海賊版が問題視された時も、アメ横の商品こそ本物なのに「これは偽物」といっても誰もが信じ、ライセンス商品の正当性を高く評価し納得したものだ。
商品の色落ち、染色堅牢度試験は厳しかった。どんなに企画サイド、デザイナーがこの素材、この色、このオチ感だと拘っても、商品試験室の白衣には勝てない。また、日本の消費者はそんな厳しい試験を潜り抜けてきた商品だからこそホンモノだとの評価をしてくれたのである。
日本の衣料品の小売価格は欧米に較べても割高であり、アパレル企業の多くは高収益を維持していた。価格の高さは、商品製作にそれだけ手が掛かっているのだというプラス評価であった、が何時の間にか繊維の業界は流通構造が複雑でコストが掛かり過ぎるのだとのマイナス評価に変わる。
特に百貨店の返品問題が諸悪の根源のように言われ、そこからカテゴリーキラーの郊外店が一気に流通界の寵児と持て囃されるようになる。
負け犬・パラサイトシングルな時代
日本人の海外渡航が増えたことも衣料品の生態系を狂わせた一因である。現地でホンモノに触れた消費者はライセンス・ブランドとの異質性に気付き出す。日本人の体型の変化も大きい。女性の背の伸びはあっと言う間であり、脚に至っては“大根足”と揶揄された面影はもはや無くなっている。
化粧品の進歩たるや言葉が無い。今は、本当に失礼ながら“ブス”はいなくなった。もはや“ブス”は、死語かもしれない。個性的な顔ですね、と遠回しに表現する必要もないほど文句なしである。この現象は老若を問わない。
また日本の衣料品業界にとっての革命的事件は、日本女性の髪の色が変わったことである。“黒”一辺倒では無くなったのである。黒の呪縛が解けた衣料の女性マーケットは急速に拡大していく。現在、再び“黒”が見直されてきてはいるが、これはファッション的視点の“黒”だ。
“黒髪と黄色い顔”、典型的な日本人女性の特徴から解き放たれたことでファッションの世界は無限の広がりを見せ始める(黒目は変えられないが) これは、女性の社会への積極的進出と決して無縁ではあるまい。「4大卒は、直ぐ寿退社だから採用しない、短大卒が望ましい」なんて時代もあった。しかし、すぐに「総合職」として女性の力を評価し、男女機会均等法の時代を迎えることになる。
今はまだ、通勤にのみ止まっているジーンズ着用の制限も仕事の中に溶け込んでいく日も近い。結婚しない、子ども生まない、親の膝元にどっぷりの実力派女性群の存在は、どの世界にも、どのグループにも君臨し始めている。彼女達の消費する大量の衣料品はその巨大なバイイング・パワーとして衣料品業界を支えていく。
“捨てる”美学
郊外型紳士服から始まった衣料品バブル=デフレ時代の到来は、その後レディスの世界に飛び火、カジュアル衣料を直撃した。
女性は「モノを大事にしない、捨てるのが好きだ」と言ってしまうと誤解を招きかねない。それは、主婦連に代表される女性の権利主張時代、あれほど色落ち、型崩れ、洗濯耐久性などに神経質であった女性陣が、かくもあっさりと低価格品(と言ってしまうと語弊がある)を支持し,購入した商品の大半を翌シーズンまで持ち越さないという事実である(あくまで推測で書いていることを白状しておく)。
とにかく衣料品は、価格が大幅に低下し、量的にも枚数は増加したが、今までのようにタンス在庫になることは無い(なぜ価格が急落して、量が動くのか、その原因は周知の事実として解説はしない)。業界で多くの伝統を持つ企業が、主に在庫過多が直接の引き金で消滅した、あるいは存続はしているものの昔日の輝きは失せている。
それにも拘らず、依然在庫は過多である。衣料品の供給過剰体質に何ら変化は無いのである。
“一生もの”という言葉が確かに存在した。特に着物などは、世代を超えて大事に親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。田舎の土蔵には大きな「長持ち」の中に何代以前のものか判然としない着物が大切に保存されている。
「古着」市場が着物や毛皮商品、ジーンズのビンテージものを中心に拡大してきてはいる。しかし、背広、コート、セーター、ブラウス、シャツ、靴下、ネクタイなどあらゆる衣料品が「ゴミだし日」に平然と捨てられている。戦後の(もちろん太平洋戦争であるが)「モノ不足」体験世代には目を覆う光景である。
うっかりしていると大事な書物までも捨てられかねない。「街づくり」もゴミ出し規制が出発点である。今や、“持つ”ことより“捨てる”ことが美学の時代と化した。
利益追求の果てに
日本のファッション産業は1960年代が萌芽期、70年代が興隆期、80年代には成熟期を迎えてきた。 規模は、80年には10兆円、90年には20兆円を超える大産業となる。自動車や電機と較べてもその市場規模は超えている。
そのファッション産業にとって、85年のプラザ合意以後の円高が大きな転機となった。日本製品に価格競争力がなくなり、輸入の増加を招くこととなる。生産拠点の海外移転で輸入品が急増し、一方海外ファッション企業の進出で国内市場が脅かされることとなった。現在では衣料品の輸入浸透率は90%を越える。
国際競争激化の対応策としては、高付加価値・差別化商品へのシフト化を図るか、価格競争に徹する体力勝負か、の2つの選択肢が考えられた。その時、多くのアパレル企業は安易な価格競争に走った。コストの安い地域への生産移転や製品輸入の道である。
価格競争に陥ると競争相手に追いつくことはできても、競争優位の可能性はない。むしろ、単価ダウン分を補うために数量の増大を招く。さらに、ブランド開発を積極化させることから商品ラインが拡大する。経営は、コストメリットを狙った戦略でありながら、高コスト体質に変わっていくことになる。
結果は、在庫過多による資金繰り悪化である。
企業は利益を上げるためのマシンである。利益が上がらなくなると会社は存続できない。利益を上げる方法は、1つは売上の拡大によるもの、2つ目はコスト・経費の削減である。
ここでも安易な道が選択される、経費圧縮、リストラ策である。
もはやファッション企業としてのプライドも失せて、ひたすら利益確保にまい進する。ファッション企業の金融企業への変身である。販売すべき商品の決定に消費者の視点は薄れていく。そして、
(1)小売価格に対して仕入原価は25%以下になっているか。1着売ってナンボ儲かるの。
(2)売れている商品を探せ。真似せよ
が中心となってしまう。
そこには商品に対する愛着も情熱もない、ただ利益を上げるための道具としてのモノしかない。在庫は“罪庫”となって、“財庫”ではなくなる。際限のない“バーゲン”合戦が続く。メリハリの利いた在庫処分、お客が納得するシーズン末の適正な在庫一掃ではなく、換金狙いの“急ぎ働き”である。
ファッションは消耗品となり、“捨てる”ことに抵抗感がなくなったのである。
コミュニティな時代
資本主義という社会システムが金属疲労を起しているのではないか、との疑念は恐らく誰の胸の中にもわだかまっている。
「資本主義対社会主義」対立の時代はとうに終焉を迎えて、資本主義の成熟、爛熟が懸念されている。これからの世の中の仕組みはどうあらねばならないのか、モノだけの充足ではない、人間にとっての本当の満足とは何から得られるのか、真剣に考えられ始めている。
ここに「コミュニティビジネス」という概念が芽吹き始めてきた。
まだ、多くの人に認知された、正しいというかこれだと定義づけられた言葉はない。平成15年3月の関東経済産業局の資料には、
「コミュニティビジネスとは、地域住民が主体となって地域の課題をビジネスの手法で解決し、その活動の利益をコミュニティに還元することによって、コミュニティを再生するビジネスである。」
と定義付けされてはいる。そして、
コミュニティとは、「生活地域、利害関係、価値観を輻輳して共有する人々の生活のまとまり」であり、「地域環境・教育・介護・生活活動・街づくりなど、個人が暮らしていくうえで関わる複数の要素が相互に影響し、人々が共通の利害関係と価値観を形成していることがコミュニティの条件である。」としている。
コミュニティビジネス成立のポイントを、「13の実例で学ぶコミュニティビジネス成功事例集」(経林書房2004年刊)の編著者関本征四郎氏は以下の2点とされている(一部引用)。
(1)コミュニティビジネスが「ビジネス」として成立することが必要である、
※ ものづくり「品質」へのこだわり
※ 安定した受注・販売チャネル
※ 受注生産による過剰在庫排除、など
また、安定的に事業を継続させるため、
※ 事業分野をミックスした手法で経営する
※ 顧客満足度の追求
※ 人件費は戦略性を持って設定する
(2)資金循環など、地域経済自立に寄与するためのコミュニティビジネスを支える仕組みが必要。支援の仕組みには、地域の金融機関の融資、人材育成、行政による業務委託等がある、とまとめられている。
資本主義が企業経済から地域経済・ネットワーク経済に進化していく中でコミュニティビジネスはその中核を形成する概念であろう。
“おしゃれ”心を形にするコミュニティビジネス
ファッション産業は、在庫過多、供給過剰から恒常化してしまったバーゲン体質、スケジュール化してしまった商品企画サイクル、“利益”優先の儲け主義、産地・地域崩壊をもたらした生産拠点の海外移転、人材の流出、リストラによる企業文化の消滅、等々枚挙に遑ない惨状である。
なぜ、シーズン末にはバーゲンを実施するのか、あるいは間断ない投売りが必要なのか、巨大化する郊外型ショッピングセンターに顧客を吸収され、疲弊する商店街、圧倒的な力の論理に振り回される中小企業、しかし多くの人は何かを気付き始めている。
ファッション産業を萌芽期から支えてきた人材がいる。志半ばにして、心ならずもリストラで職場を離れた優秀な人々も数多い。また、何より一消費者として、ファッションを愛した人も、もちろん数多い。ファッションは決してプロだけの世界ではない。むしろ、生活そのものの中、消費の現場にこそファッションはあるのである。
多くの若い人材がファッションの世界を目指してやってくる。馬喰町横山町に現れる文化服装の学生達も本当にファッションを愛していると信じたい。ファッションは、それを生業(なりわい)とする一部のプロの仕事ではなくなってきたのではないか。“おしゃれ”心は誰もが持ち、そのレベルはプロのそれを超える。
まもなくあの団塊世代のリタイアが始まる。いや、スタートというべきであろう。“軍団”はあらゆる面で未だ現役としての力を保持していよう。
ネットワーク・「場」づくり
ファッションは限りなくコミュニティビジネスに近づく。誰もが持つ、自分にとっての“おしゃれ”心を満たすために、自分のネットワークの中でファッションを生み出していく熱い衝動が現実化する時が来る。自分にとっての「この一着」、捨て去ることのない「一生もの」のこの一着である。
単にユニバーサルファッションや障害者・介護用といった特殊の衣料には止まるまい。産地・縫製企業、アパレル・卸企業・商社、百貨店などの小売業は個人のネットワークを核としたコミュニティビジネスを支えることによって、その存在意義を見出さざるを得なくなろう。
今井賢一スタンフォード大学教授の「資本主義のシステム間競争」(筑摩書房1992年刊)の帰結するところではある。
「資本主義における競争は、価格や品質を争う単純な段階から、個人や企業のさまざまな結合が生み出す多様なシステムの間の競争に入った。それは市場と組織がダイナミックに相互浸透しながら、国家を巻き込み、国家を超えて経済を進化させていくプロセスである。」と述べられている。
馬喰町横山町の企業群にとっても地域のコミュニティだけでなく、文化服装学院などの外部の力を組み込んだネットワーク・「場」の形成に力を注ぎ、新しいアントレプレナーを輩出するシステムづくりが課題となる時代を迎えている。 |
東京問屋連盟:問屋連盟通信:2005/1/1掲載 |
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