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日本繊維新聞(ニッセン)投稿集
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24. 2010.05
「百貨店は再生への道を歩んでいるか」 |
百貨店の店じまいが加速している。2010年、すでに公表されている店舗だけでも、11店ある。さらに、噂されている店舗も数店あると言われ、加えて、建物は残り、名前もそのままながらショッピング・ビルとでもいうべき業態変更の店も今後、地方、都心を問わず出現してきそうだ。これが、百貨店再生のシナリオなのか。
これは、なりふり構わない、まさに“斜陽業態化”への道ではないのか。
閉店続出の理由は、「不況の影響でもないし、天気のせいでもない」。それでいて、全国百貨店の09年度売上高は、6兆5842億円。金額で7兆円を割ったのは24年ぶりであり、さらに、10年度の6兆円割れは、すでに既定の事実として語られている。
確かに、ファストファッションと呼ばれる“麻疹(はしか)”のような、圧倒的なコストダウンのブランドも氾濫している。「安くとも納得できるデザインと品質だ」と評価する専門家もいる。昔流の表現で言えば、普段着と「よそ行き」着の差別をしない、あるいは差別できない若者に、賢い大人が媚びを売ってしまった格好だ。
だから、百貨店から消費者が離れていったのだというのは、まさに即断の誹りを免れまい。
百貨店に“社会的ミッション”は無いのか
百貨店の社会的ミッションは、「消費者のため」にこそある。
米国のノードストロームは、「神話になるほどの顧客サービス文化の創造」を継続し、「顧客を上位においた逆ピラミッド型の組織」にミッションが表現されている。何より、社員(アソシエイツ)への権限委譲が徹底されている。権限委譲とは、“ノードストロームでは、どんなケースでも決定するのは、皆さん(社員)です。それしかルールはありません”という明快さだ。
品揃えや価格の重要性が、日米の百貨店で変わるわけではないが、顧客サービスを経営の根幹に置くという経営姿勢には、大きな相違点があろう。ノードストロームの
(1)ルールの明確さ
(2)ビジョンを具現化させる仕組み
(3)目標管理の徹底
こそ、商品の流行に左右されない厳然たる百貨店のあるべき姿なのだ。
日本の百貨店にもあった消費者のための論理が、いつどこで企業のための論理に変質し、また、経済発展のための「道具」に変わってしまったのか。百貨店の価値そのものであるアソシエイツすら、コスト削減の対象としたことに本質的責任が存在するのではないか。
成熟化した消費者の商品を見る目は、決して画一化したものではない。百貨店本来のシナリオを構築すべき時ではないか。 |
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