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宿屋四郎兵衛
「パワフルワンポイント」
(2005.5.20〜2007.6.1)
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No. 45 |
“ボーダレス化”の現実
日本食「推奨マーク」
これが「美しい国づくり」の政策といえるであろうか。
海外の日本食レストランで、「正しい日本食」を出す店にお墨付きを与える認証制度とやらを創設しようと意欲を燃やす農林水産省の有識者会議。結局、政府が関与することを断念したという。この会議、発端は松岡農水相の提唱というが、「政府がする事業ではない」との強い批判を浴びてあえなくボツとなったようだ。有識者は、やはり識者であった。
とはいえ「提言」は、新制度を担う主体を民間組織として、申請した海外のレストランの中から一定の基準を満たした店に「推奨マーク」を与えることにしたという。政府の予算編成では、この事業に2億7600万円の予算が計上されているのだと報じられている。
皮肉に表現すれば、インド政府認証の「カレー・ショップ」や、中国政府「推奨マーク」の「中華料理店」であれば、さぞ美味かろうと日本国民が思うのだろうか。国によって食文化には、大きな違いがある。これが「本場のインドカレー」と言われたって、暑熱のインド現地で食するのと日本で食べるのとでは味に、また食材そのものに違いがあって当然だ。
「推奨マーク」で、日本の食文化を、海外の国々に押し付ける、傲慢以外の何ものでもない。
安倍首相の「美しい国」なるものの儚さをいみじくも露呈したのではないか、と心配になる。もはや、ボーダレス化の時代なのだ。
ボーダレス化は必至
ボーダレス化=グローバル化とよく似た言葉に「国際化」がある。ところが、この両者の意味は全く異なるのだ。
国際化は、「国」があって「際」が盛んになることであるが、ボーダレス=グローバル化とは、まさに「国」の境自体が希薄になってしまう現象を意味している。ボーダレスになれば、出入りするのに門を通る必要もなし、誰に断わることもないということになる。勝手に入れたくもないものが入って来るわ、出したくもないものが出て行くことになる。
ヒトも情報も何もかも筒抜けになってしまう現象だ。
マイナス面で、最近目立ち始めた外国人による犯罪など、今後は特に目を引くことでもなくなるのではないかと危惧する。
このような現象は、誰かが仕組んだ訳でもなく、国際条約で取り決められた訳でもない。国家とは関係がないところでなし崩しに起きている。強いて言えばパソコン、ケイタイのような情報技術がなせる業、というよりない。
「正しい日本食」騒動は、今なお日本政府が政治の力でボーダレス化を押し止めようとした世界でも稀な「遅れた国」である、との印象を与える。
給料は低きに収斂する
日本国内に立地する製造業の工場現場では、多くの海外からの研修生が働いていることは周知の事実である。
繊維業界では、僅かに残るニット製造業や縫製メーカーの多くも、これら研修生の働きがなければ操業が維持できない現状にある。さらに言えば、国内におけるアパレル生産継続のためには、海外からの働き手をもっと増やさなければならない事態に追い込まれている。
このパワフル・シリーズ43で、パソコン、ケイタイの進化が世界を一つにしてしまい、お蔭で働く人たちの給料が限りなく低きに収斂していく必然性に触れた。直近の新聞報道では、初任給が上がると報じられているが、あくまで一時的なことであろう。
また、経団連の会長企業等で正規社員を増やすとの報道もあるが、「企業イメージ」のための手段であると言わざるを得ない。臨時雇用の比率は上がり続けるはずだ。ボーダレス化の中で企業経営が飽くことなく利益を追求していく限り、コストは際限なく削減され続けていくのだから。
トヨタにおける「カラ雑巾をさらに絞り上げる」手法が、羨望とも顰蹙ともつかずの賞賛を浴びた時代もあったが、いまやこの程度のことは当たり前、さらなるボーダレス化の中でコスト削減は一層進行している。
否、どのビジネスもコスト削減無くして競争には打ち勝てない。ましてコンペチターが、国内の同業者である可能性は今後益々なくなるだろう。甘さ、隙の見えた分野はあっという間に海外を含めた“よそのヒト”に持っていかれることを覚悟しなければならない。
地域格差は拡大する
浸透するボーダレス社会においては、あらゆる格差が拡大するものと覚悟しなければならない。これは、国家の政策でもってしても止め得ぬ未来社会の必然というべきであろう。
参議院選挙を控えて「格差」問題は、与野党の政争の具となりつつある。自民党も選挙対策として、民主党に負けじと「気まぐれ消費者=浮動票」の袖を引くべく、格差是正を掲げている。しかし、いかに美辞麗句を並べようとも民主党も含め、この公約が果たされる可能性はない、と見るべきだ。
小泉自民党は、すでに郵政民営化を強力に推進することで、格差の存在を是認し、その上で多くの格差拡大のための政策を打ち出してきた。一時のゆり戻しは、事態をより複雑化させるだけではないか。
小泉政権が郵政民営化を急がなければならなかったボーダレスがもたらす厳しい現実があったからである。
日本人が居住する地域は、少子・高齢化の必然の中で急速に狭まっている。石炭産業と同様に林業という職業の存在を知らない国民も多い。農業も大規模農家の創出で、兼業農家は激減している。極一握りの専業農家に耕作面積が集中していくのだ。漁業も然り、巨費を投じた漁港から人がいなくなる。
消える商店街
離村して都会に出てくる人たちが当然増え続けることになる。そうなると、農漁村地帯の役場や小学校・中学校は不要となり、郵便局もまた廃止せざるを得ないのだ。町、村に立地した商店、洋品店、理美容店、飲食店等が消えていくのだ。
埼玉北部の有力都市間を結ぶ路線バスの本数が激減、今まで地域支援の仕事で重宝にしていただけに唖然とする。そう言えば、いつ乗っても貸切りバス状態であった。効率、採算性からは、高齢者の利用は切り捨てられる。バス利用のJR駅前商店買物客にとっては、つらい日々だ。
全国の市町村区の数は、1945年頃で12,000あったが、1997年には3,300、2003年には3,190、2006年4月には1,820となり、特にこの3年間で1,370の市町村が消滅している。商店の数もこの数字に比例するのか。
この傾向はまだ続く。 |
東京問屋連盟:問屋連盟通信:2007/4/1掲載 |
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