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宿屋四郎兵衛
「パワフルワンポイント」
(2005.5.20〜2007.6.1)
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No. 47-2 |
21世紀のリーダー像
“気まぐれ”消費者が選択したもの
前号で、長崎市長選挙の結果を受けて、いかに国民(消費者)が、“気まぐれ”に見えながらも決して“気まぐれ”などでなく、緊急事態に対して的確な判断を下したのか、を指摘させていただいた。
このことは、東京都知事選挙も同じことで、浅野氏等の有力な候補に加えて、明らかに石原知事に不利な状況が一部マスコミ等で報道されたにも関わらず、都民は総合的に「誰が適任か」を判断したものと考えられる。過去4年間の実績が評価されたとも言えるだろう。
必ずしも、オリンピック開催や築地市場の移転に賛成したわけではないだけに石原都知事も今までのような、自由奔放の発言は難しいであろう。交際費を含めて密室政治的色彩は払拭せざるを得まい。都民は、明らかに“カリスマ”知事ではなく、何でも気さくに、オープンに話ができる知事を望んでいるのであろうことを石原氏も痛感しているはずだ。
注目されるクビ長
国政の場と異なり、ここ数年異色の「クビ長」が登場する。衆院、参院における陣笠議員とは違い、クビ長は、県、市町村のトップであり、まさに一国一城の主。その見識、実行力は並みでは務まらない。加えて、その権限は絶大なのである。
そのクビ長、今までは4選、5選がザラ。もちろん「この人をおいて他になし」と衆望の一致するクビ長も多いだろう。が、大した業績もないまま、徒に年を重ねたクビ長が多かった。必然的に批判の対象ともなる公共事業等を巡っての疑惑が囁かれてきた。岐阜県や和歌山、宮崎県等記憶に生々しい。
中には、知事として著しい業績を上げたことで知られる浅野宮城、北川三重、田中長野県知事等、評価は分かれるものの、マニフェストをかざしての異色の人達が、地方クビ長には強大な権力が存在することを示してくれた。
21世紀のリーダー像
そして、宮崎県東国原知事の登場である。過去話題となった青島東京都、横山ノック大阪府知事とは同じ芸能人出身ながらそのキャラクターは、ハンパではない。プロの「仕事人」そのものだ。何かやってくれそうな魅力に満ち溢れているかに見える。
スキャンダラスなイメージを孕みつつ「宮崎の営業マン」としての八面六臂の活躍が、今後いかなる影響を宮崎県政にのみ止まることなく、全国に波及していくか計り知れないものがある。
メディアを存分に引き付けた政治手法など、過去の政治家を遥かに凌駕した戦略であり、そこには、明らかに“21世紀型リーダー像”とも言うべきものが垣間見える。
ガラス張りの知事室は、田中長野県知事の発案であったが、知事室を宮崎観光ルートに取り込むという東国原流の情報開示施策も多くの注目を集めるはずだ。コミュニケーション戦略に長けた人材でなければリーダーは務まらない時代でもある。
21世紀型とも言うべき新しいリーダーの誕生に“気まぐれ”消費者は、高い関心を示している。朝のテレビ番組の常連でいささか食傷気味の感も出始めていよう。しかし、人気は抜群だ。
情報開示の必然性
石原都政に、最大の批判を浴びせ続けた浅野候補は、徹底した情報開示型の政治家として定評がある。選挙には敗れたが、この批判は石原さんには厳しいボディーブローとなって、今後の都政運営にかなりの影響を及ぼすだろう。「側近政治」型手法など、もはや通用するはずもないし、都民も許さないだろう。
知事であるからこそ、また自他共に許す大物政治家である自分だからこそ、許されるであろうと考えた“隠す”論理は、今や通用しなくなってきた。“気まぐれ”消費者はもはや許さないはずだ。石原都知事のアキレス腱も実はこの点にあった。都民のことを最も考えているのは自分だ、世界を動かす名だたるメンバーとも親しい、名前の出せない要人とも会っている、すべて東京のためだ、これくらいのこと許されるだろう。しかし、政治に「隠蔽」体質はもはや許されない。
すでに、ビジネスの世界では、“隠す”ことは犯罪である。あらゆる面で情報開示義務が強調され、またインサイダー取引が厳しく指弾されることは周知の事実である。情報が一部の特権階級・組織のトップのものであった時代は終わっている。関係するすべての構成員が同じ情報を共有しなければならない時代でもある。
コミュニケーション戦略
これからは、関係するすべてのメンバーが、同じ情報を共有し侃侃諤諤、論じ合う。ここに真のコミュニケーションが生まれるところの「衆愚政治」=民主主義の時代である。
一つの課題に、いろんな意見が入ってくる。夜を徹して議論をするうちに、ドンドン議論が集約化されていく。時間もかかるし、根気もいる。これが、コミュニケーションの本質だ。
ビジョンが生まれ、改革の方向が定まり、達成すべき課題が一人ひとり明らかになっていく。コミュニケーションがしっかり浸透していく。一部のリーダーが情報を隠しているのではないか、との疑心暗鬼に陥る余地が無い。
指図されるのではなく、自然と体が動いていく。隠し事がなくなることで、無理、無駄が無くなる。真のリ・エンジニアリングが達成されるのだ。
“気まぐれ”消費者を味方にしない限り、政治もビジネスも「勝ち」はない。彼らは「隠蔽」体質を極度に嫌う。
プロ野球界の「新・黒い霧」事件も同様だ。「こんな事暴いて何になる」と発言するプロ野球のドンには、所詮グローバル化が理解できない。さすがに「バンドラの箱」を開けてしまった高野連に対しては、別の意味での批判が渦巻いている。コミュニケーション戦略を誤ったというべきか。
官主導から民の力で
商店街活性化も全員参加の「三方良し」(買い物客良し、商店良し、地域の住民良し)でなくては成功することはない。
夕張の事例で見るまでもなく、市長や一部のトップが必死に地域再生を目指しても、そこには自ずから努力の限界がある。今までは、頼るべきは官であり、当地選出の議員であったり、都道府県の大きな傘を頼ってきたはずだ。組織の長たるもの、中央で顔を利かすことでその権威が守られてきたとも言えるだろう。
しかし、これから頼るべきは地域住民であることが、夕張の例からも明らかになった。道路を広げ、橋を架けることで地域が再生することはもはやないのだから。地域(商店街)に中で、徹底した話し合いをすることこそが求められる時代なのだ。
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東京問屋連盟:問屋連盟通信:2007/5/20掲載 |
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