今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の辛談辛語
No.5
「日本資本主義の精神は日本再生の礎となる!」
(問屋連盟通信 2009年8月1日より)
問屋連盟通信 - 辛談辛語鈴木正三(せいさん )の思想
 石田梅岩の『石門心学』に先立つこと、約100年以前に日本資本主義の萌芽とも言うべき考えを持った人物が現れている。
 禅宗の三位一体論を背景に「人々がいかに生きるべきか」を具体的指針として説き、理論化した鈴木正三(せいさん)その人である。
 「生まれは天正7年(1579)、本能寺の変の4年前である。三河(愛知県)の武士で家康の旗本に属し、関ヶ原にも大坂夏の陣にも出陣した実戦参加の戦国武士、いわば戦国末期の戦乱の“戦争体験”を持つ人であった。そして戦後の平和到来とともに一時大坂(勤)番を務め、文官官僚的な武士も経験したが、元和6年(1620)、切腹、お家断絶を覚悟の上で出家してしまった。
 その動機は明らかではないが、非常に強い何かが、彼にこの心的転回をもたらしたものと思われる。以後77歳でこの世を去るまで、彼は禅宗の僧侶、それもまことに桁外れの坊さんであった」
(山本七平著「日本資本主義の精神」光文社刊より)。
 正三(せいさん)は、明治時代が西欧文化を模倣し、第二次大戦後はすべて米国を模倣した、のちの世と異なり桃山〜江戸期において石田梅岩との年代に差こそあれ、日本独自の資本主義的精神を生み出した無名の思想家である。

生活の業こそ“仏行”だ
 正三の考え方は、『四民日用』にあり、後の『三宝徳用』と合わせて『万民徳用』として、広く流布され、士農工商すべての四民の心の中に脈々として受け継がれていく。
「生活の業こそ立派な行為であり、心がけ次第で労働がそのまま“仏行”となり得る」と説く。
 「農業即仏行なり」
与えられた仕事に真剣に取り組むことこそが、「社会に尽くし、社会を浄化する」結果となる。
「我が身を信ずるを本意とす。まこと成仏を願人ならば、唯自身を信ずべし。自身を信ずるというは、自身すなわち仏ならば、仏の心を信ずべし。仏に欲心なし、仏の心に瞋恚なし、仏の心に愚痴なし仏の心に生死なし・・是非なし・・煩悩なし・・悪事なし」
「一筋に信仰せよ、信仰せよ」(前掲書より)
 ここに引用した正三の言葉は、多くの日本人に心に深く浸透し、その後の日本人の労働観を永きに渡って支え続けてきたのである。
いわば、日本資本主義の倫理の基点とも言える思想である。

商人は“自由の番人”
 正三の『商人(あきひと)日用』には注目しなければなるまい。
正三の理論の真骨頂は、自由の基礎を売買、流通に置いている点である。まさに慧眼というべきであろう。
流通によってこそ、人々の自由は維持されていると喝破すると共に
「得利否定」ではなく、「まず得利の益すべき心遣いを修業すべし」であり、その道は「一筋に正直の道を学ぶべし」と続く。「正直」こそが、正三の原則であり、また、仏行そのものをなす。
 「この身を世界になげうって、一筋に国土のため万民のためと思い入りて、自国の物を他国に移し、他国の物を我国の持ち来て、遠国遠里に入渡し、諸人の心に叶うべしと誓願をなして、国々をめぐる事は、業障を尽くすべき修業なりと、心を着て、山々を超えて、心身を責、大河小河を渡て心を清、満々たる海上に船を浮かぶる時は、この身をすてて念仏し、一生は唯、浮世の旅なることを観じて、一切執着を捨、欲をはなれ、商(あきない)せんには、諸天是を守護し、新明利生を施て、得利もすぐれ、福徳充満の人となり、大福長者をいやしみて、終に勇猛堅固の大信心たて、行住坐臥、則禅定と成て」、ごく自然に成仏できる、と説く(前掲書「日本資本主義の精神」より引用。送り仮名などは、読みづらい個所はあるが、原則として原文をそのまま借用した)。

「利潤」こそ“善”なり
 正三の発想の根底には、戦乱に明け暮れた戦国の世に終止符が打たれ、一つの秩序のある時代への移行期にあったことが原因したのであろうことは予測できる。この点、江戸時代に入ってからの元禄〜享保時代の転換期に石田梅岩が現れたことと酷似している。
いずれの時代も多くの人々にとって、「戦国」から「平和」への精神的閉塞感に迷い、惑わざるを得ない時代を迎えていたのである。
「職人が物を造り出すことを一仏の徳用とし、また、商人が完備した流通機構を造り出すことが人を自由にするという発想は、きわめて近代的であると言わねばならない」と山本七平氏は前掲書で触れている。
そしてこれが日本人の新しい職業観の確立をもたらし、日本人の仕事に取り組む際の倫理観の基盤を造り上げることになる。注目すべきは、正三は、「結果としての利潤」を否定していないことである。
「正直の旨を守て商(あきない)せんには、火のかはけるにつき、水の下れるに随て、ながるるごとく、天の福、相応して、万事、心に可叶(かのうべし)」(前掲書)なのである。

企業に生きる「社是・社訓」「経営理念」
 欲心からの利潤の追求は許されないが、「世のため、人のため」であるならば結果としての利潤は肯定されるという正三の考え方は、現代企業の多くにそのまま受け継がれている。
 「先義後利」は、松下電器創業者松下幸之助氏の原点であり、近江商人の代名詞ともなっている「三方よし」(顧客・職人・世間)も正三(せいさん)の思想そのものと言えるだろう。
「より良いものをより安く、洋服の販売を通じて社会に貢献する」(青山商事)や、老舗百貨店が社是・社訓とする、「奉仕の精神」など列挙にいとまがない。「社是・社訓」にこそ、会社がなぜこの世に「生」を享け、存続し得るかの理念が示されているのである。

金融資本主義の狭間で
 政治の世界は、混乱の局面を迎えている。識者が声高に叫ぶごとく、本格的な「二大政党時代」の、まさに「夜明け前」なのであろう。
上から押し付けられた思想は時代とともに消滅するが、国民の間から湧きあがった思想は時代の波に左右されることなく、いつまでも消えないものである。
正三、梅岩が生み出した「時代の過渡期の閉塞感」を打破した思想が、自然と大衆の心の中に生き続けてきたことに改めて注目しなければならない。そして、金融資本主義が崩壊した今日の経済環境下で人々は、時代の閉塞感に覆い尽くされている。
ファッションの世界では、すでにモードの権威主義は否定され、若者は着たいファッションを身につける、他人の目を意識せずに自分を表現するための「素材」を求め、「部品」を求めようとする姿勢が横溢している。
正三の『商人(あきひと)日用』の考え方は、今後の生き方を示している。
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