今塾 by 今宿博史 - 営業戦略おもてなしショップ - IMAJUKU by IMASHUKU Hiroshi
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宿屋四郎兵衛の辛談辛語
No.42
「強い“絆”で行動することが求められる時代が来た」
(問屋連盟通信 2011年2月20日号より)
問屋連盟通信 - 辛談辛語 打ち砕かれる通念
 確かに政治、経済、社会面等あらゆる分野において、日本全体がカタストロフィ(破滅的局面)を迎えているのかと錯覚を起こしそうな日々が続いている。
 早く言えば、すべてが安定していないのだ。
長年の間、日本人の常識となり、一種の社会的ルールともおぼしき一般的通念にひびが入り、今後、一体どのような社会になっていくのか、誰もが不安な気持ちに苛まれるような時代を迎えている気がするし、そんな「空気」が、社会全体に蔓延しているといってもいい時代を迎えている。
例えば、「八百長相撲」一つをとってみても、暗黙知として日本人の誰もがその行為自体の存在を知り、また、表向きは「許されざる行為」とは思いつつも、そこに「そこはかとない日本人特有の奥ゆかしさ」みたいなものを感じていたのではないかと思う。
少年時代に読んだ初代横綱谷風や、あまりの強さのせいで横綱になれなかった雷電為右衛門の話や、大坂相撲と江戸相撲の角逐などには、人情話として「弱きを助け、強きを挫く=ヒトとしての道」が良心的観点から書かれ、少年ながら大いに感動した想いが未だに胸の底に埋まっている。
日本人には、まだこういった通念を大事にしたいと思っている多くの人が存在するに違いないと信じている。

「賭博」という世界
 
こういった人情話に“やくざ”と呼ばれる一団が食い込み、生業(なりわい)とし始めたのかは残念ながら、推測の域は出ないものの「半七取物帳」(岡本綺堂著)や池波正太郎氏の長編小説「鬼平犯科帳」からみても江戸時代には、この種の人達が居たことは事実なのであろうと思われる(明治期以降も実在したことは間違いなかろう)。
博徒とも呼ばれる“やくざ稼業”が、丁半博打(花札やサイコロ等)の時代からやがて世間から隔離されたともいうべき“やくざの世界”の塀を乗り越えて一般社会に流入し始める。それぞれの“シマ”の支配権争奪の範囲が、経済成長と符合するように拡大していく過程だ。
 鶴田浩二氏や高倉健さん、江波杏子氏の『入ります』から、さらには菅原文太氏らのヒット作「仁義なき戦い」など、東映映画全盛期を経て、これも単なる推測にすぎないが、現実の山口組三代目による全国制覇へとこの世界の“シノギ”の範囲は変質し、拡大していったようだ。
「賭博」そのものの範囲が拡大し、その胴元と呼ばれる存在が、従来の“博徒”の世界から勝負事ともいうべき「スポーツの世界」に入り込んできたのだ。付け込まれる隙もあったのだ。

暗黙知と形式知
 
有名な“野球賭博”は、「黒い霧事件」として1969年〜1971年に起こり、当時の西鉄ライオンズの主力選手を中心に摘発された。同時に、オートレースの八百長事件も摘発された。
まだまだ、野球ファンには記憶に生々しく強烈な印象として苦々しく残っているはずである。
野球賭博は、江戸時代以来の人情話的なモノとは異なり、妥協の余地が全く許されない賭博そのものだ。こんなことがまかり通れば、野球は“丁半博打”そのものとなり下がる。多くの国民の怒りをかったのも当然であった。
 ここには、何らの“暗黙知”も存在しない。日本人を熱狂させる“甲子園高校球児”の神話を、さらには、神宮外苑の出陣式で止むを得ず戦地に赴いた大学野球の伝統を踏みにじる行為そのものというべき恐るべき事件であった。
今回の相撲八百長事件が、如何なる形で収束するかは、もちろん、定かではないが、もはや“暗黙知”として許される時代ではなくなっていることを相撲協会のトップ達は認識しなければならない。
人情話としての“甘え”が許される時代では、もはやなくなっている。まして、そこに巨額(一般社会から見て)の金銭の授受があったとすれば、言語道断である。
 一部に囁かれる“相撲賭博”の存在が、僅かでも食い込んでいるとすれば、もはや国技たる相撲の価値はゼロとなる(天覧相撲、天皇賜杯の名にかけても、そんな噂があるだけでも協会はすべてを返上すべきだ)。
可視化・見える化
 暗黙知に対する概念として「形式知」(明示知)がある。「可視化・見える化」である。
 単なるメディアからの知識ではあるが、過去においては、八百長は「使者」を介在させたという。それなりの「礼の作法」があったのだろう。今は、それが「ケータイ」によって、対戦相手同士でケリを付けるというなんとも味気ない時代になり果てた。
 相撲は、プロの集団であり、無気力相撲なのか、八百長相撲なのか、それとも本当に体調がすぐれない(たとえば、ケガという不測の事態)なのか、素人目には分かるまい、シロウトさんには分からないからいい、という時代ではなくなっている。
 皮肉ながら、相撲のプロもITには、ズブのシロウトだ。ケータイの文字を消せば、安心!とはいかなかった。そうは問屋が卸さなかったのだ。
 相撲協会そのもの、協会を支える「部屋」という存在、その運営の実態、親方名跡の承継のあり方など、すべてを「可視化・見える化」しなければ、協会そのものの存在が否定されるものと覚悟しなければなるまい。
 「可視化・見える化」は、相撲協会だけのことではなく、すべての会社も含めてあらゆる組織体に要求されることになる。

独裁国家崩壊の勢力
 未だに、選挙制度もなく一党独裁国家たる中国の存在はともかくとして、地中海の珠玉の国、英雄ハンニバルを擁した海洋国家カルタゴの末裔チュニジアを襲った国民の怒りが、イスラム最大の国家エジプト・アラブ共和国に波及した。
 いまや風前のともし火ともなったムバラク大統領の運命とともに、地中海を取り巻くイスラム諸国の動向が日本をも巻き込む大きなうねりになろうとしていることは周知の通りである。
 そして、これら大衆の怒りに火を付けたのは、言うまでもなくインターネットによる情報の流れであり、直接的には、近所や友達、同僚、同級生達と交流を深めることのできるソーシャル・ユーティリティ・サイトと呼ばれる“フェイスブック” の存在であった。
 フェイスブックからの呼びかけで多くの市民が自らの意思で“デモ”に参加し、巨大な勢力を形成、一気に国家そのものの民主化を推進するに至る構図である。この流れは止めようもなく、今後、中国はもちろんのこと、アフリカ諸国にも及んでいくはずである。
 過去の通念が、ITによって次々と突き崩されていく現実を目の当たりにすることになる。
 政治も経済も、社会の現象すらITの及ぼす影響は、人々の意思や政府・官庁、会社の行動すら瞬時に置き去りにしていく。

『ワンピース』の真実
 揺るがぬ信念、未来の“海賊王”モンキー・D・ルフィの活躍する長編漫画『ワンピース』(尾田栄一郎作)の第61巻が発売された。発売3日で200万部突破という人気だ。これまでに発売された冊数は、2億冊にも達すると言う。
 この漫画、NHKで放送された(2月9日夜「クローズアップ現代」)ところでは、子どもより圧倒的に大人に読まれているという特徴を持つ。筋建ては作者が、一切取材には応じないので憶測の域に止まるが、黒澤明監督『7人の侍』や、東映やくざ映画が背景にあるのではないかというのが専門家の分析だ。
 『麦わら一味』9人のいかなる事態に遭遇しても、絶対に崩れない仲間への信頼、どんな困難にも立ち向かっていく勇気と行動など、ともすれば「自分さえよければ」といった現在の日本人の考え方に対するアンチテーゼが、多くの大人たちの共感を呼び、読者層を広げているとの見方だ。 
自社さえよければ、では商店街が廃れるように、仲間への信頼・絆こそが、IT時代を生き抜く生命線になるはずだ。
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