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宿屋四郎兵衛
「ずばり!単刀直言」
(2007.6.20〜2009.5.20)
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No. 29 |
取引正常化が次代を作る
漢字も読めず、KYか?
第4次産業とも囃されたIT産業と必ずしもイコールではないが、誰もがコントロールできない金融資本主義社会が破綻した。破綻した以上、誰かが収拾しなければならない。当然のことである。ところが、この規模は1国家の経済単位ではどうにもならない損失を現出させている。
金融サミットG5だか、G7だかのいわゆる先進諸国では、もはやどうにも収まらない規模。急きょサミットはG20となり、新興の国々の首脳を含めて主要メンバーがアメリカに集まることとなった。
今年のサミット議長国は日本とかで、麻生氏も意気込んではみたが誰からも相手にされず、結局、成田開催案は流れてしまった。
それでも「金融危機を過去に乗り越えた経験国」としての実績を引っ提げ、「日本は最大1千億ドル(約10兆円)をIMFへ融資する」に加え、「ドル基軸の通貨体制を支える努力を払うべき」との強硬姿勢を取ってはみたが、これも「タライ回し政権」のいうことだけに他国の注意も引かなかったようだ。
小泉時代と異なり、アメリカ・ブッシュさんもほとんど日本を当てにしていないことに気付いているのかいないのか、麻生氏「具体的な提言を行い、それが(サミットの)宣言にも反映された」と自画自賛するのみ。どこか変だ。
依然、「新しい経済と金融に対応した国際的な経済システムの実現に向け、引き続きリーダーシップを発揮したい」と意気込んではいるが。
「百年に一度の危機感」
金融資本主義の権化グリーンスパン氏が言ったというこの流行語。
80年前の世界大恐慌の再来とも称せられる今日の事態。80年前の危機を終息させるには、結局、第2次世界大戦という甚大な犠牲が必要となった。今回も、80年前同様の大きな代償を伴う恐れがあることをグリーンスパン氏自身は懸念しているのであろう。
麻生氏は、その「経済通」を遺憾なく発揮して定額給付金で早々にミソをつけた。世界が“未曾有”の危機に直面しているこの時期、景気対策を最優先するべきとの考えには多くの国民の賛同を得ただけに惜しまれる。
サミットの主役よろしく海外で恰好をつけるより前に、なぜ今回の金融危機が日本の実態経済に大きなマイナスをもたらすことを十分に考慮した政策を取ろうとしなかったのか、誠に不思議と言うしかない。
これは民主党を含めて野党のせいでは決してない。政権党党首としての責任である。「政局より政策だ」と民主党を批判する前に、自身の経済対策を「かび臭い」ばらまき政策なんぞではなく、「経済通」の神髄を証明する早急な施策の実行を望んで止まない。
H&M、銀座、原宿に
9月13日、銀座にあのH&M(へネス・アンド・モーリッツ)がオープンした。「開店からしばらくは1日8千人が詰めかけ、今でも入店待ちの列ができる」と報道機関では囃し立てている。
事実、11月の今も列はできている(原宿店のオープン時には、銀座の列に影響はあったような気はするが)。識者によっては、「H&Mを眺めてから、ZAZAで買い物をする人が多い」と指摘する人もいる。しかし、どちらも甲乙つけ難い独特の個性を持った店舗であることは間違いない。とにかく高いファッション性とともに価格の低さに特徴がある。
ユニクロやしまむらとは違った、やはりファッション先進国、欧州文化の香りが際立っているというのが実感だ。エルメスやグッチ、セリーヌ等のラグジュアリー・ブランドと同根の、それでいて「ブランドビジネス」ではないまさに本場のファッションが随所に提案されている。
“H&M現象“こそ、日本人の持つ「ミーハー志向の表れ」との評価もあるが、ブランドビジネスではなく、高いファッション性とこなれた価格で品揃えされていることに現金問屋街各商社は注目しなければなるまい。
時代の流れを感じさせる商品構成だ。
市場経済の新たな関係づくり
実物経済が、金融資本によって振り回され、営々と積み上げてきた各企業の技術力・その企業でしか活用できないような独特のノウハウが、資金繰り上やむを得ず捨て去らざるを得ない環境に追いやられてきた。
企業経営にとっての資本力が否定されるべきものでは当然ないが、経営・技術力を維持し、さらに安定発展させる以上の「背伸び」を要求した金融資本など、まったく「害あって益なし」との事実が、今や明らかとなった。
企業に必要な資金力は、まさに「身の丈」に合ったもので十分なのだ。金融資本が誘導するビジネスの本質が、今回の騒動でまさに明白になったというべきであろう。
企業は、自社のフィールドでビジネスを行い、正当で、真っ当な利益を得る仕組みづくりが必要なのだ。「買う立場」の企業が、「売る立場」の企業より上位にあるという発想を今こそ捨て去るべき時なのだ。
内需拡大に向けて
世の中に大企業もあれば、中小・零細企業もある。その安定均衡こそが、経済を発展させ、人々の幸せを編み出すのではないか。「市場経済」が、金融自由化等という実態経済を反映しないバブルを生み出す舞台であってはなるまい。
実物経済の早急な回復こそが、麻生氏のなすべき喫緊の課題なのだ。
そのためには、大企業がその立場を利用して「優越的地位の乱用」で理不尽なコスト削減を中小企業に押し付け、また「乾いた雑巾」を絞り上げるといった合理化・効率化・輸出立国の美称に隠された大企業のエゴであってもなるまい。
いつまでも輸出企業頼みの経済構造から、内需を拡大していくことこそ日本経済の悲願ではなかったのか。
下請法の有効活用時代
あくまで、取引は相対、かつ平等な関係で成り立つべきものなのだ。
どの業種にも下請企業は存在する。そして、その存在が親企業のリスク発生の際のバッファー役(緩衝)を果たしてきたことも事実ではある。とは言え、このことは決して常態化させるべきものではない。
親企業、下請企業ともにお互いの利害を分かち合い、同時に存立繁栄していく関係づくりこそが「私的独占禁止法」「下請法」の精神なのだ。法律があるから、といったレベルではなく対等の取引関係を維持することが古来よりの人類が作り上げてきた不変のルールのはずである。
下請法の認知・普及によって、各企業がこれを遵守する。ここに実物経済の真の再生が始まるのだ。 |
東京問屋連盟:問屋連盟通信:2008/12/1掲載 |
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