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宿屋四郎兵衛
「ずばり!単刀直言」
(2007.6.20〜2009.5.20)
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No. 39 |
組織を守る隠れたリーダーシップ
小一郎秀長の功績
昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」以来、再び歴史大河の視聴率はウナギ登り。今年の「天・地・人・愛」は、昨年の「篤姫」を上回る勢い。直江兼続というどちらかといえば、よほどの歴史戦国物を得意とする人しか知らないような人物が俄かに注目を集めている。
最も、直江を演じる俳優の人気にあやかってのことかもしれない。
大河と言えば、今までいろんな角度から、数多く取り上げられてきた「秀吉」モノだが、藤吉郎の実弟小一郎が、脇役ででも取り上げられたことは皆無と言ってもいい。秀吉の出世物語には、出てくるべき人物が数多く、とても小一郎さんなんかの出る幕がない。
常に、ヒーロー秀吉の陰で全く目立つこともなく、秀吉を支え続けた秀長の存在が、豊臣家を起こし、彼の死が豊臣家を崩壊させてしまう。千利休、豊臣秀次の非劇、寧々と淀君との確執も、尾張の武断派と近江の文治派の暗闘も秀長の死とともに一気に噴出、家康の利するところとなる。豊臣家の不幸は、弟が兄の死を見届けなかったことにある。
秀吉最古参の武将であり、その戦歴には一度の負けもない豊臣秀長、豊臣政権のナンバー2として大和・河内、紀伊合わせて112万石の大大名であったことは紛れもない事実だ。
組織を支える“補佐役”
「兄・秀吉の補佐役に徹した弟は、あえて自分の名前を残そうとしなかったばかりか、むしろ自らの名を表面に出さないように努めていたふしさえある」と、堺屋太一さんはその著「歴史に学ぶ『勝者』の組織革命」(集英社文庫)に述べられている。
秀長が病に倒れた時には、兄や母が「大和大納言秀長公御病平癒」の祈祷を依頼した文書は数多いが、秀長本人の寄進や祈祷依頼にはほとんど自身の名前を入れた文書が残されていないという。 異常なまでの自己抑制で自身の名前を出すことなく、兄・秀吉を立て、手柄は家臣たちに分け与え続けた「補佐役」のあり方が、よく示されていると堺屋さんは賛嘆を惜しまない。
兄・秀吉もまた、弟の功績によく報い、自分の出世とともに増え続ける領地を弟・秀長に分かち与えていたのだ。“影武者”的な役割を見事に果たした名補佐役・秀長から学ぶところきわめて多い。
リーダーシップの神髄
会社であれ、団体であれ、およそ組織という組織には必ずナンバー2が存在する。
代表的な事例では、しまむらにおける藤原ー後藤コンビだ。また、ホンダを創業し、共に会社を去った本田ー藤沢コンビも名リーダー、名補佐役としてその名を後世に残した。
不振を極めるファッション業界にあっては、どうしても決算発表とともに人事異動が余儀なくされる。規模の大小を問わず業績という数字の評価が、新たに選出されたリーダーの想い、夢・希望や何をやろうとしたのかというミッション(使命感)を一蹴してしまう。
世の中のテンポは、ますます早まっている。何かをやる、やろうとしても時間は待ってはくれない。リーダーは信頼できる補佐役を持たない限り組織運営ができない時代でもある。適役の補佐役が得られるかどうかが、戦国の世も今もリーダーの神髄でもある
リーダーの役割は、一層重大になっていく。同時に、リーダーを補佐する周りのチーム(補佐集団)に、その機能を存分に発揮させ、うまく誘導できる補佐役の存在が重要さを増しているのだ。
幾層倍する情報量
今、一番恐ろしいものは「情報の大洪水」とそれを報道するマスメディアではないか。
民主党小沢代表の秘書逮捕にまつわる検察の動きは、一体何だったのか。その後の推移はもはや報道されることはない。その胡散臭さを見ると、日々報道される事件の数々も、何が真実であったのか、考える余裕もなく「報道された」という事実だけが人々の頭にこびり付いて残っていく。
死語になった感のある「風評被害」に泣かされる組織・会社も数多いはずだ。情報に泣かされて早めに店を閉めてしまおうと考える経営者が出てきてもおかしくはない。
情報は、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ等だけに止まらない。パソコン、ケータイ等から流れる情報はまさに無限だ。
真偽のほどは確かではないが、ある人の言では「世界には7,000万のブログが稼働しており、この内の36%は日本語だ」とのことである。その多くは、ケータイ・ブログであり、もはや親世代が読み切れないブログが公然と空中を浮遊しているのだ。
溢れる情報活用術
コンピュータの世界では「ムーアの法則」(半導体チップ上での1インチ当たりのICの個数、すなわちコンピュータの処理能力は18か月で倍になる))と言われるものがある。この法則を単純に適用すると、15年前(180か月)のコンピュータに比べて、現在のコンピュータの処理能力は、1,024倍に達していることになる。
「光秀、反逆」情報を誰よりも早く掴んだ秀吉は、誰よりも早く行動を起こし、毛利との和議を成立させ、一気に山崎に駆け上る。「まさか」の光秀、3日天下の顛末だ。
溢れかえる情報からいかに真に自社の、自組織の利となる情報を掴めるか、偶然も作用することは否めないが、普段から信頼すべきアンテナを見極め、その情報を確認するや即刻行動できる体制を作っておくことである。
いや、むしろ情報そのものの活用発信に取り組む時代であるとも言える。情報は、一方的に待つものではなく、元々“攻め”のツールであることは、今後のNHK大河ドラマ「天・地・人・愛」が教えてくれるはずだ。
企業・組織を成長させるツールこそ「情報」そのもの。問屋街においても、トップの断固たる方針のもと、補佐役を中心に策を練り、行動する時期が来た。もちろん、不当な風評被害を受ける前でなければなるまい。
特に、有能で問屋街の将来を憂い、打つべき手を真剣に考えている多くの経営者が去る前でなければなるまい。
情報は国を意識しない
グローバル化のことは、この「直言シリーズ」でも何度か取り上げた。
情報の流れに国境は存在しない。問屋街の存在は、国を超えているのだ。わざわざ、他国に問屋街を作り上げる必要などない。やるべきことは他国から多くの小売店を招き寄せることなのだ。それだけの魅力を持つことになる。
日本の国内だけで解決できることは、政府の経済危機対策関連の補正予算案を見てももはや限界であることを証明している。
国家を意識する政治は、経済の世界に追い付けない。経済には国家の縛りがないからだが、この傾向は今後一層深まり、中小企業政策にも政官・財の間に亀裂を生じる懸念がある。 |
東京問屋連盟:問屋連盟通信:2009/5/1掲載 |
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